[ human system ]

 

 ちらりと時計を見やると、兵部は慌ててシャワーブースに飛び込んだ。最近どうにも怠くて仕方ないから仮眠のつもりでのんびりしていたが、気づけばあまり時間がない。
 たっぷり泡立てた石鹸で隅々まで身体を洗い、男がまだ満足げに眠っているのを確認して兵部はいつもの学生服を身にまとうと部屋を後にした。料金先払いだから早い退室を咎める者はいない。
 安っぽいネオンの点滅するホテルの入り口を出たところで。
「少佐」
「!」
 聞き慣れた声に兵部は足を止めた。思わず自分の耳を疑ったが、まさか気のせいでも年のせいでもない。
 となれば今聞いたこの声を受け入れるしかない。兵部はその名を口にした。
「……真木?」
 振り返った先、ネオンがアーチになったその陰からゆらりと人影が出てきた。平均以上の長身にダークスーツ、髪は背中の半ばほどを覆うほどに長い格好はそう滅多にいるものではない。
 無言のままゆっくりと数歩を近寄ってきた青年を兵部は見上げた。この子を拾ってからもう十年近く経って、確かもう成人になっているはずだが(正確な年齢は判らないから推定でしかないが)また少し背が伸びたようだ。何センチになったのか訊こうとしてもっと大事な事に気づいた。
 子供の雰囲気が少し変わっている。
「……どうしたんだいそれ」
 大きく顎を上げて見上げた先では、今まではなかったはずの黒い色がその顎辺りを覆っていた。
「髭……?」
 顔の輪郭を覆うように短く揃えられた髭に触れると、想像以上にざらりとした感触が指先に伝わってきて兵部は咄嗟に手を離した。ほんの少し前までは丸く柔らかい頬をしていたのに。
 指先に残った感触につい顔を顰めながら首を傾げる。
「何かあったのかい?」
「別に何も。……ちょっと思いついただけです」
 ふぅん、と生返事をしながら兵部はしげしげと子供を見つめた。
「ずいぶん雰囲気変わったな」
「似合いませんか?」
「そういうわけじゃないけど」
 違和感を感じるのはおそらく見慣れないせいなだけとは判っている。兵部はこういう時の言葉を探した。育ての子、とは言え、それぞれの個性は大切にする主義だ(たまにそれを放任主義とか言われるのだが)。
「少し、大人っぽくなったね」
「そうですか?」
 妙に老けた、と言うのはさすがに気の毒なので言葉を選べば、途端、声が嬉しそうなものになった。ポーカーフェイスを目指してか、むすっとしている仏頂面が一瞬で表情を明るくするあたりはまだまだ子供だ。
 だがそんな事を言ってしまったら、真木はきっと口を一文字に引き結んで何の反応も見せなくなるだろう。どうやら彼は一刻も早く大人になりたがっているようだから。
 それは兵部にとってはつまらない。なので兵部にしては無難なコメントで終わらせておいて、もう一度長身を振り仰いだ。
「そういえば、なんで君がここに?」