残酷な神が支配する |
「人工呼吸のやり方、知らなかったわけ?」 「……パティ?」 「鋼」 情報提供者を示す明快な答に、よくも言いやがったな、と歯軋りをする。今度数倍にしてお返ししてやる。 そんな葉の頭に拳をギリギリと捩じ込みながら兵部が続ける。 「君が人工呼吸もしてくれなかったなんてショックだな」 「……やり方は知ってるよ」 いてーよと唸りながら葉は口を尖らせた。 「でもあんたにキスしたら、舌入れたくなっちゃうし」 「そういう理由かよ」 葉の言葉に兵部が呆れたような顔をした。ようやく手を放され、葉は慌てて兵部から距離を取った。言い訳なんか本当は好きじゃないけど、今はそれが必要な時だ。 「それに、ヤブ医者が大丈夫だって言ったから」 「うわ、バベルのヤブ医者を信じたわけ?」 ジト目で睨んでくるから、ええと、とついでに続けた。 「あんたのエロい顔、他の奴に見られるのもいやだし」 と、さすがに兵部の目が据わった。 「……お前、いつからそんなエロガキになったのさ」 「あんたが俺よりあんなチビどもにウツツを抜かすロリコンになった時から……って、いてて!」 誰か、どこかの神様でもいいから、離れたところからでも髪を引っ張れる能力を兵部から取り上げてほしい。さもないと思った事さえ口に出せない。 「圧政反対!」 「誰が暴君だよこら」 声の限り喚けば自覚はあるようでしばらくするとようやく髪が自由になる。葉は涙目で暴君を睨んだ。 「ハゲたらどうすんだよ、ジジイ」 真木さんじゃないんだから、とぼやけば兵部が笑った。どこか子供みたいに得意そうな表情は、幹部長男の長髪に隠れている疑惑の真偽を知るのが兵部だけだからだ。 「……ほんと、ガキみてぇ」 悔しさ半分で毒づいても兵部は余裕の笑みを浮かべるばかりだ。葉はぷいとそっぽを向いた。 なぜ人工呼吸をしなかったかって? バベルのヤブ医者がウソは言ってないと判ってたからだ。黒い接触精神感応能力者でかなりいけ好かない奴だけど、子供の前で人を死なせるような奴じゃないとは判っていた。 ……それに。 葉はふと俯いた。 やり方なら一応知ってたけど。 人工呼吸なんて命に直接関わる行為なんて、もし上手く出来なかったら自分の手の中で兵部が死んでしまうのかと思ったら。 「……怖かったんだ」 独り言のつもりで零した言葉は思ったより大きく響いた。 「……あ、」 しまった、と思った時には背後に兵部の気配があって、葉は身を竦ませた。 振り返れない。振り返ったら、少し困った顔の兵部がどんなに優しい目で自分を見ているかを知ってしまったら。 泣き出してしまいそうだから。 「……ごめんね」 と、背中に温もりを感じた。 言葉と一緒に背中からふわりと回された腕は細い。 昔は――初めて会った時は、あれほど大きく力強く感じた手も、今では自分の方が容易に包み込める大きさになって。 こんなに大きくなったのに、それでも兵部には追いつけない。 「僕は、君をいつも心配させて泣かせてばかりだね」 「……いいんだ」 葉は小さく被りを振った。 心配なんかいくらでもする。兵部に向ける心なら尽きたりしない。それよりも、何より願うのは。 「でも頼むから、俺を置いていかないでよ」 「…………大好きだよ、葉」 心から願う言葉には返事をくれない。 その代わりに、泣きたいくらいに甘い言葉で誤魔化そうとする兵部は、本当にズルイ人だ。 「俺も、……大好き」 でもそれを責めても兵部が困るだけなのを知っている。どんなに責めても、兵部は彼が思ったままに動く事も。 だから結局は騙されてやる。 甘い言葉に耳を傾けて、与えられるキスを受けて。 振り返りざまに強く抱き返しても逃げない身体に束の間溺れるのも、それが兵部の望みだから。 自分に人間としての色々を教えてくれた。 家族で、友達で、……そして。 自分に世界を与えてくれたあなたは。 ただ唯一の、世界一残酷な神様。 |
「パンドラリターンズ」の人工呼吸祭り(別名恐怖のたらいまわし)から。 |