くたばれブラックジャック (八巻桃太郎編の直後と思ってください) |
ドアをノックするとすぐに扉は内側から開いた。 「なんだ、葉か」 遠慮なく中に入ってTV前のソファに腰掛けたところでバスローブを無造作に羽織った兵部が浴室から出てきた。浴室のドアは開けっ放しで、そこからこのリビングまで温かい湿気が漂ってくるのを葉は思念波で閉じた。 どうやらシャワーを浴びていたらしく、兵部の銀色の髪の毛からぽたぽたと水滴が落ちて絨毯に濃いシミを作っている。 幹部のもう一人ならこの時点で髪をちゃんと拭けと小言を言って兵部に煩がられるのだろうが、自分はそんな無駄な事はしない。捻くれ者の兵部には正攻法より搦め手の方が有効だからだ。 無言のままで葉は意識を集中させた。 引き出しからタオルを引っ張り出して兵部の肩に掛けるのは、念動力者(サイコキノ)の葉には難しい事ではない。タオルを持ってきて、面白がって逃げる兵部を追い掛け、最後には懇願してその髪を拭かせてもらうより効率もいい(兵部はそっちの方を好むが)。 案の定、ちょっとつまらなそうな表情で兵部はタオルで髪を軽く拭いながら、何しにきたのと首を巡らす。 「着替え持ってきたんスよ。……と、これ」 少し手を持ち上げてそれを見せると兵部の顔が少し顰められた。 「そんなもの要らない」 葉が持ってきたのは救急箱だ。箱に緑色で十字のマークが塗られた見た目はいかにも家庭用のだが、中に入っているのは家庭用というよりは医療用に比重を置いたものだ。 「真木さんが凹んでたよ、ボスが手当てもさせてくれないって」 「だってあいつに手当てさせると、まるですごい重傷みたいに、あちこちぐるぐる巻きにされるからさ」 「……まぁ、あの人あんまり器用じゃないからなぁ」 もっともな言葉に葉はぽり、と鼻の頭を掻いた。 真木の場合、指先が、というより性格が不器用なので、心配とか不安とかをそのまま行動に反映させてしまう傾向がある。つまり、心配した分だけ巻く包帯の厚みが如実に増すというわけだ。 「こんなの、舐めときゃ治るのに」 「はいはい」 一人掛けのソファに腰を下ろした兵部がぶつぶつと呟いているのを半ば聞き流しながら葉はその前の床に膝をついた。 「じゃあ今回は俺が手当てしたげるよ」 「……嫌な予感がするのはなんでかな」 救急箱を開きながらの提案に隣からは渋い返事が戻る。 「真木さんの心配性は、まぁあの人の存在そのものみたいなもんだから放っておくとしても」 と、葉は言葉を続けた。 「パンドラの皆も今回はかなり心配したんだから、ここは少しも我慢して付き合うってのがオトナってやつだと思うな」 細い眉をきゅっと寄せて、胡乱げに葉を見る兵部の目はまだ納得できていないらしい。本当に兵部が唾液による殺菌と回復効用を信じているのではなく、実際には傷を見せる事でこっちが不安になるのを懸念しているのだ。 「あのさぁ、……って、まぁいいけど」 そんなくだらない事が心配ならもっと自分を傷つけない方法を探したらいいのに、と言いかけて葉はぎりぎりで踏みとどまった。こんなほんの僅かな意趣返しくらいで兵部の機嫌を損ねるのは良策ではない。どうせならもっと大きいものを狙う。目指すならハイリスクハイリターンだ。 そんな思考の下に葉はもう一度救急箱を示した。 「あんたがどうしてもイヤって言うなら別にいいけど、その場合はこの救急箱捨てちゃって、ちびどもがケガした時にも『舐めときゃ治る』って言いますよ」 …と、兵部の顔が顰められる。 「……お前の言い方って、すっごく回りくどくないか?」 「真木さんと同じ事言って効果あると思えないから」 「……しょうがないな」 しれっと言い返せば小さく溜め息をついた兵部がソファに身体を預けて力を抜いたそこを狙って。 「ハイ、じゃあ消毒しますよ」 「ちょ、葉っ?」 兵部のバスローブの胸元を引っ張って大きく広げさせ、そして葉はひょいと顔を寄せた。 「……って、それ消毒じゃな、……っ」 い、までは言えなかったらしく、兵部が声を詰まらせた。それも無理はないかもしれない。鎖骨すぐ下の痣の部分を舌でぺろりと舐められるなんて事態はそう滅多に起こらないだろうから。 「よ…葉っ、お前何すんだよ」 耳元で兵部ががなるのを無視して葉はまた舌をひらめかせた。 「だって、舐めとけば治るって言ったじゃん」 「……それ、は……っ…ぁ、」 まるで犬がするようにぺろっと肌を舐め上げながら少しずつ顔を動かして、ずれたローブの袷から無防備に覗いていた一箇所へと顔を寄せる。 白くて滑らかな胸のなかで、そこだけ薄赤い小さな突起だ。 「……んっ」 そこをまずは親指の腹で撫でる。と、兵部が細く息を呑むのが判った。それに気付かない振りをしてそのまま何度も指で撫でる。 指先で摘み上げたり軽く潰したりを繰り返すうちに柔らかいそこが少しずつ芯を持つように硬くなってくるのを何食わぬ顔でじっと凝視する。 「ここ、少し腫れてきた?熱もあんのかな」 じゃあやっぱ消毒しておかないとね? そう言うなり顔を寄せるとその意図に気付いたらしい兵部が慌てて葉を引きとめようと手を伸ばして髪を掴むが、念動力ならともかく兵部の手の力くらいでは押さえきれるはずもない。 「な、このバ…、…ぁん、」 きゅっと吸い上げればびくんと身体が跳ね、罵声も途切れて高いオクターブに跳ね上がる。次に薄い唇から出たのは甘ったるい嬌声混じりの吐息に変わっていて、悔しげに口を尖らせる仕草は、葉より張るかに年上のはずなのに可愛いとしか言えないものだ。 覗き込んだ先の闇色の瞳もうっすらと潤んでいる。 兵部が快楽に、なにより子供に弱い事を葉はよく知っている。 「……していい?」 それを狙って甘えた仕草で見上げれば陥落は早い。 「ねぇボス――……京介?」 こういう時しか呼ばない子供の時の呼称で呼ばれて少し躊躇う素振りの後にこくんと小さく顎が動いたのを見過ごすはずもなく。 手の中に落ちてきた身体を葉は抱きしめてひっそりと笑った。 ■ □ ■ 「あーあ」 閉めるという動作が頭の中に入ってないのか、またもやドアが開けっ放しの浴室から水音がうるさい。ジーンズのベルトを止めながら葉は口を尖らせた。 「せっかく消毒したげたのに」 「うるさい、あんなの消毒じゃない」 皺だらけのTシャツを片手に中を覗くと、やっとそういう一般常識に気付いたらしい兵部がむすっとしたままシャワーを浴びている。ぬるめに設定したお湯を全身に浴びてようやくその表情がやわらかさを取り戻している。 もっとも、既に腰はがたがたで立てないようで、葉の手の中から逃げたのは瞬間移動(テレポート)でだったし、今宙に浮いているのも念動力(サイコキノ)によるものだ。 「もうお前にはやらせないからな」 「ごもっとも」 シャワーの水の幕の奥からキッと睨んでくる兵部の強い視線に葉は小さく肩を竦めた。 初めは『舐めれば治る』なんて無茶を言う兵部をからかうだけのつもりが、いつの間にやら夢中になっていて、ふと気付けば数時間もその身体を堪能していた。多少なりとも怪我をしている相手にすることではなかったかもしれない。 「消毒だけのつもりが、注射まで、だもんなぁ」 「……なんか言ったか?」 ぎろっときつい視線で睨んでくる兵部に、なんでもないっスよ、と葉は視線を逸らした。こういう下品な冗談を兵部は嫌う。出自はともかく幼少から貴族の家で育っているからなのかもしれない。子供っぽい、トイレ的な下ネタは大好きなくせに、性的なものは実は結構苦手なのだ。特に、言われるのは。 「今度からは真木に頼むことにする!」 そんな兵部は声高に宣言し、まぁいいけど、と葉は肩を竦めた。 「でもしばらくはまずいと思うよ」 「……しばらく?」 きょとんと首を傾げる兵部を見返して。 「だって、ほら」 葉は兵部の身体を示した。つられて自分の身を見下ろした兵部がそれに気付いて愕然とする。なかなか見れない素の表情を葉は楽しく観賞した。 兵部の全身に無数のキスマークが散っているのだ。 抜けるように白い肌がシャワーでほんわりと上気している状態だから、そのコントラストは今はひどく鮮やかだ。 「ボスの性感帯マップは、真木さんには刺激強いと思うよ?」 だから、と葉はにっこり笑った。 「それが消えるまで、当分主治医は俺ってことで……いてっ!」 ただの石鹸でも至近距離から念動力でもって投げられれば、石並みの攻撃力を持つという事を葉は身をもって思い知り。 そしてもちろん、真木司郎は葉の手当てをしてはくれなかったのだった。 |
08.6.30.のComicCITYと08.08.15.の夏コミで配布したものです。 |