A SHORTEST HOLIDAY
 

 液晶画面を睨んでいた真木の視界に急に出現した白い顔にぎょっとしたのは一瞬だけだ。
「どうかなさいましたか?」
「お前さー、お前の身体は一つしかないんだから」
 お茶のお代わりか、はたまた夜食のリクエストかと腰を浮かしかけた真木に、闇色の目を据わらせた兵部が睨む。
「そんなに仕事ばっかりしてる事ないじゃん」
「少佐……?」
 軽い調子で言われると同時に、するりとネクタイを引き抜かれた。ぱたりと音がしたのは、ノートパソコンの画面を閉める音だ。
 そうして息が触れ合うほどの距離で兵部が言うには。
「今から君は明日まで休み」
「…………は?」
 予想外の言葉に、今のは空耳かと聞き返した真木に与えられた答は、兵部からの甘いキスだった。

■ □ ■

 目が覚めたら、腕の中から大事な存在が消えていた。
「……まったく」
 それが指し示す事実は容易に推測できる。数度瞬きを繰り返して、それが現実だという事を受け入れると、ベッドの上で身を起こした真木はがっくりと項垂れた。
 先日の一件でバベルにばれた拠点は全部解約する羽目になり、それらの手続きを一手に引き受けている上に通常業務も重なって、いつも以上の忙しさに正直目が回りそうだった。睡眠どころか食事時間も削って動いていたので、当然ここ一週間はそういう方向に意識が回りさえしなかった。
 そんな時に兵部から少々強引に誘われて、それを拒めるほどの精神力はない。どちらかと言えば逆で、途中からは兵部の甘さに夢中になりすぎたという自覚はあったが、だからと言ってここまで深く眠ってしまうなんて普通はありえない。おそらく催眠をかけられたのだろう。
 やられた、というのが結論だ。
「紅葉とカガリを連れて行くとは言ってたが、……あの人の事だからな」
 どう考えても紅葉を放り出して自分で好きなところへ行ってしまうに決まっている。
 想像は容易で真木は眉根を寄せた。だから本当は自分もついていこうと思っていたのに。
「まったく、あの人は……」
 深く溜息をつくと真木は顔を上げた。
 とりあえず起きよう。そして兵部を追いかけよう。
 気紛れで非常識で悪戯好きな兵部の事だ、目を放せばどうせろくな事をしないに決まっている。
 紅葉だけでは抑えられなくても、自分も行けばどうにかなるかもしれない……否、どうにかなるはずだ(そう思わないとやってられない)。
 ベッドから出て、まず真木は昨日の服を探した。
 すぐにそれは見つかった。昨夜、兵部に剥がされるようにして脱いだスーツは、さすがに片付ける体力はなかったから床に放り出されたままになっている。それを畳み直そうと身を屈めて拾い上げて。
「……ん?」
 布に触れた指先がなんだか冷たい。良く見れば布はあちこちが濡れていた。そして引っ張ってみるとなぜか布の間に紛れるようにペットボトルが転がり出た。蓋はなくて、中身は半分以上がなくなっている。
「うわ、」
 おそらく兵部が起きてミネラルウォーターを口にして、そしてなぜかスーツの上にボトルを放り出したのだろう。
 水でよかった、と自分を慰めるにはスーツもネクタイもびしょびしょ過ぎる。どう考えてもクリーニングに出さなければならない代物に成り下がっていた。
「いったい何を考えてるんだ、あの人は……」
 溜息混じりにぼやくと踵を返し、クローゼットを開けて中のスーツを取ろうとして。
 ……と、真木はぎょっとして目を見開いた。多分口はぽかんと大きく開いてしまっていただろう。
「な……い、」
 クローゼットの中身がごっそり消えていたのだ。
 中には真木のスーツが数着、ちゃんとハンガーに掛けてあったのに。
「……まさか、」
 慌てて振り返ると部屋を横切りドアを開ける。
 果たしてドアの外側、廊下の隅にはランドリーバッグが置いてあった。元々大きなそれが限界を訴えるようにパンパンに膨らんでいる。
 こうなれば中身は見ないでも判った。
「俺のスーツ……」
 ぎゅうぎゅうに、無理やり突っ込まれたとしか思えない袋の外見からして、中身の惨状は更に見るまでもない。
 どうやら、真木の全部のスーツがあの袋に詰め込まれているらしい。洗濯の必要など欠片もなかったのに。
 一度ドアを閉め、ベッドに腰掛ける。
「いったい何を考えてるんだあの人は……って、あれ?」
 さっきと同じ言葉を繰り返してそこでようやく思い出す。
 真木の襟元を掴みあげて強引にキスをくれながらの兵部の言葉はなんだったか。
『今から君は明日まで休み』
 そこからなだれ込んだ甘い時間にうっかりすっかり忘れていたけれども、もしかしたら兵部がしたかったのはこれだったのかもしれない。
『たまにはゆっくりしたらいいよ』
 そんな囁きをその催眠能力で寝こけている真木に残して出掛けて行くような人なのだ。
「…………判りました少佐」
 ああもう、と真木はガシガシと頭を掻いた。
 そこまで兵部が画策していったのなら。
「全力で休ませていただきますよ……!」
 後で何かあっても知りませんからね、と唸りつつもう一度クローゼットを覗けば、スーツ以外の私服なんてものをそう持たない真木のクローゼットに無事に残っていたのはTシャツ一枚だったりして。
 色もデザインもなんだか微妙と周囲に不評なので常は使わないそれをええいままよと頭から被り、冷蔵庫からいつ買ったんだかも思い出せないビールを手に、どかどかと足音も荒く甲板まで出た真木だったが。

 ほんの数分後に来訪する衝撃を、彼はまだ知らなかった。



大阪インテで配ったばっかりのSSですが、無料配布のだから許してもらえますでしょうか?(笑)
てか、本誌的時事ネタ?だったので、後で載せても欠片も笑ってもらえないと思って……。
大阪で貰ってくださった方には申し訳ありませんが、お許しくださいませ!
(どうでもいいけど、どうでもよさそーな導入部ですね;;;時間なかったんです……;;;)