30minute




 秒針が0を指し示す一秒前、まさにアラームが鳴り出す寸前で真木の手はアラームを止める事に成功した。
 そっと時計を元の場所に戻すと、静かに身を滑らせてベッドから出ようとしたところでツンと髪を引っ張られる。強くはないが気のせいでもないはっきりとした感覚に、真木は自分の努力が今回は甲斐なく終わった事に気づいた。
「起こしてしまいましたか」
「なんだ、君はもう起きるのかい?」
 発音ははっきりしているが、まだ声はどこか眠たげだ。ベッドの真ん中を見やれば、白い面差しが声と同じ眠たげな表情でこっちを見ていた。
「子供たちの世話をしないとなりませんから」
 銀色の髪がシーツの上にばらけているのを指で梳りつつ、そば殻の枕を宛がう。硬めの感触が兵部はあまり好きではないらしいが、さっきまでは真木の腕が兵部の枕だったのだからそれよりはマシのはずだ。
「もう起きちゃうのかい」
 真木に合わせてやや高さもある枕の感触が気に入らないのか、兵部が緩く上体を起こすともう一度同じ事を繰り返す。
「あなたはまだ寝ててください」
 宥めるように囁いても兵部は納得しない。不満そうに口を尖らせて見上げてくる。
「まだもう少しいいじゃないか」
「そうもいきませんよ」
 朝は和食、が信条だから、味噌汁から作り始めなければならない。いつも卵焼きを作ってるあたりに年少組の最初の一人がパジャマ姿のままでダイニングに飛び込んでくるから、きちんと言い聞かせて服を着替えさせて顔を洗わせなければならない。
 パンドラというかなり自由気侭な組織にいるとは言え、常識的な部分はきちんと教えないと後が大変な事になるし、年少組の子供たちは将来訪れる超能力者の世界で、世界を引っ張っていく人間――それが兵部のいう三人の子供たちかどうかはともかく――を支えていく存在となるはずだ。
 そういった重要な役割を担うはずの子供たちを立派に育てなければならない(間違ってもサボり魔の葉や結構大雑把な紅葉のような、いかにも兵部を見て育ちました、というのが丸判りの子供にはしたくない)。
 そのためには小さいうちからの食育は大事だし、基本的な常識や躾もしっかりしなければならない。そんな理想に燃えている真木にとって朝は一番大事かつ忙しい時間帯なのだ。
 だが兵部はそんなことはお構いなしだ。
 たまにはのんびりしようよ、とか誘惑の言葉を投げてくる。
「朝食なら、近くにマックもあるんだし」
「あんな高カロリー、朝から身体によくありません」
「毎日ってわけじゃないんだし」
「昨日アジの開きのいいのを手に入れたので」
 一日ずれればそれだけ味が落ちてしまう。
「僕がもう少し一緒にいたい、って言っても?」
「……こ、子供達を立派に育てるのは、幹部としての大事な役目の一つですから、」
 上目遣いと甘い声音に思わずぐらりと来るが、ぎりぎりで踏みとどまる。と、なかなか意に沿わない部下に兵部が大きく口を尖らせた。そして曰く。
「そーやって、いつも頭固すぎると子供達にも嫌われるぜ」
「そ……んなことは、」
 いやもしかしたらそんな事はあるかもしれない。子供は口うるさい相手より優しくて甘やかしてくれる人の方が好きなものだ。
 一瞬どんよりとするが慌てて気を取り直す。
 そんな事は気にしては負けだ。子供達は大きくなればいつかは判ってくれるはずだし、大体にして兵部は、子供達と真木との関係性より、自分の枕が起きてしまうのが不満なだけだ。
「自分は気にしません」
「……しょうがないなぁ」
 きっぱりと言い切れば兵部がどうにか折れてくれた。
 実際、まだ眠いというのもあるのだろう。斜めに起こしていた上体をもう一度シーツの中に戻した兵部に、真木は手を伸ばすとその細い肩までを丁寧にタオルケットで包んだ。
「子供たちの世話が終わったら声を掛けますから」
「判ったよ」
 ふわぁと欠伸をしながら頷く兵部にほっとして真木は背を向けた。このままもう一度眠ってもらった方が助かる。
「真木」
「なんでしょうか」
 これ以上なんだかんだとごねられては堪らない。手早く服を着替えながら(さすがに朝からネクタイまではしないが)さりげなさを装って寝室から出ようとしたところでもう一度呼ばれる。
「出てく前に、やる事あるだろ?」
 そう言いながら自分の口元を人差し指で示す年上の少年に、ドアへ向かっていた真木の足が思わず止まった。
「……キスだけですよ」
「眠いから大丈夫」
 若干の疑いを混ぜた真木の視線にも兵部は屈託なく頷くだけだ。言葉通り二度寝する気だろう。兵部は朝はかなり弱いのだ。
「あとで起こしに来いよ」
「紅茶を淹れたら迎えに来ます」
「ミルクたっぷりな」
 二度寝のためのおやすみのキスを要求する人に、いつもより三十分早めにアラームをかけておいてよかった、と自分を内心で褒めながら、真木はそっと身を屈めた。



オ、オチはどこ……? と突っ込みたいのは井上です。
オチがないと落ち着かないんですが、たまにはラブラブもいいかなぁということで。