バレンタインデイ・キス

 


 ドアを開けて電気をつける。そうしながらまずはネクタイを少し緩めた。
 身なりは常にきちんと整えていたい真木だが、さすがに自分の部屋では少しくらいは寛ぎたい。しかももう夜だ。
 上着を脱ぎながらデスクトップに電源を入れる。ノートのデータを移してバックアップを取っておかなければならない。
 かすかな起動音にふと他の要素が混じる。
「へーえ、真木ってば結構人気じゃん」
 背後から掛けられた声に、真木は一つ溜め息をついた。どこがですか、と呟きつつ、振り返らずにそのまま手の紙袋をデスクに載せる。
 と、デスクの上方に黒い学生服姿が現れた。真木の背後から瞬間移動したのだ。宙にふわふわと浮いたまま、逆さになった兵部が興味津々といった顔で覗き込む先の紙袋の中には綺麗にラッピングされたたくさんの小箱が入っている。
「でも、結構多いじゃないか。パンドラの面子と、……普通人のからのも入ってるかな」
「近所付き合いとか言うもののようです。それに、俺なんかより少佐の方が多いに決まっているでしょう」
 倍返しを期待しているらしいパンドラメンバー以外では、隣のビルのオーナー(兵部と同年代らしい)の孫娘や取引先の受付嬢からのもので、よく行くケーキ屋(ここのショートケーキを兵部が気に入っているのだ)の店員からおまけにもらったものも含めてもせいぜい四つと言うところだし、逆にパンドラのメンバーでも真木にはくれない子達もいる。例えば澪が嬉しそうに買ってきたチョコはコレミツの分だけだ。
「そりゃ、もらう数としては多いけどさ」
 兵部が口を尖らせる。その表情で何となく判った。
「判りました、皆違うものを寄越したんですね」
 去年のバレンタインでチョコレートを差し出した少女たちに、兵部は一瞬複雑そうな表情をしたのだ。もちろんすぐに気を取り直してちゃんと喜んでは見せたが、子供たちも馬鹿ではない。大事な人の反応を敏感に察知して対応したのだろう。
「去年で皆覚えたんですよ」
 良かったじゃないですか、と真木は言った。少々子供を宥めるような口調になってしまったのは許してほしい。
 だが兵部としては色々不満があるらしい。
「僕は、チョコが嫌いだって言ったわけじゃないもん」
 不二子さんを思い出すから複雑ってだけで。
「なのにさー、みんながくれたの、昆布飴だの塩飴だの、せいぜいがサプリメントとか、健康食品ばっかりでさ」
「…………」
 それは、去年のホワイトデイにサクマ缶だの肝油ドロップだのを真顔で配って返した兵部に明らかに非がある。……と思ったが、真木は賢明にもその思考を口にするのは堪えた。
「僕だって、少しくらいはチョコを食べてもよかったんだぜ」
「……では、よかったらこれを」
 ぶつぶつ呟いている兵部に、少し思案した真木は、包みを一つ兵部へ差し出した。確かどこぞの受付嬢がくれたもので、こういったものに興味のない真木にでさえ包み紙だけでも判るような有名メーカーの小箱だ。
「どうせ自分は、甘いものは得意ではないですし」
 だが、高級チョコの包み紙にも兵部は目もくれない。
「やだ」
「これはダメですか?」
 明確で端的な拒否に真木は他の包みへと視線を流した。チョコなんかに詳しくないからよく判らないが、これだけあればどれか一つくらいは兵部の気に入るのがあるはずだ。
「もしよければ、透視して好きそうなのを選んでもらえれば」
「やだ、いらない」
 なのに兵部は頑なに繰り返す。そうして言うには。
「お前がもらったチョコなんて、死んでも食べない」
「……少佐?」
 きつい口調を訝しく思って真木は首を傾げて目線より少し上の兵部を見上げた。チョコを食べたかったと今言ったばかりなのに。
 と、急に兵部の眉がきり、と吊り上った。
「……この鈍感!」
 声と同時にぼふっと顔に何かが当たって真木はよろめいた。そこそこ身体は鍛えているつもりだが、至近距離から枕をぶつけられて微動だにしないでいられるにはまだ足りなかったようだ。
「しょ……少佐?」
 どうしていきなり怒られたのかわからない。
 思わずテーブルに手を着きながら見た先で兵部がむくれた顔で――もしくは拗ねた表情で真木を睨んでいた。両手に枕を抱える動きから、念動力ではなく手で枕を振り抜いたのだというのは判った。その理由以外は。
 なので恐る恐る口を開く。兵部が気紛れなのはよく知っているが、まったく理由がないというほどひどいわけでもないと知っているからだ。
「あの……何かまずい事でも?」
「……君は本当にバカだな」
 真木よりやや上方の宙に浮いたままやや胸を反らせて(いわゆるふんぞり返るという格好だ)、形の良い細い眉の片方を引き上げて呆れたような眼差しで見下ろされ、大きく溜息を吐かれる。
 と、その頃になってようやく絶対に食べないと言った兵部の台詞の意味に気づいた。
「あ……」
 じんわりと頬が熱くなる。
「少佐……、あの、」
「謝ったりするなよ、その方が腹が立つから」
 慌てて言い掛けた途中でぴしりと遮られる。口調に相応した厳しい表情でぎろりと見返されて真木はしゅんと肩を落とした。こういった方面に気が利かない自分の性格に自覚はあって、自分では気をつけているつもりだったが、今回も足りてなかったらしい。
「ホント、全然足りてないよ」
 内省を透視したらしい兵部が更に追い討ちをかけてくるから真木は更に肩を落とし、悄然と俯いた。
「すみま…、…――っ」
 と、反射的に口から出そうになった言葉をぎりぎりで飲み込む。
 謝ったら余計怒ると宣言されているのについうっかり口を突いた言葉に慌てて口を両手で押さえた真木が嫌な予感に背筋に冷や汗を垂らしたところで。
「……でもまぁいいや」
 呟きと同時にその姿がぶれて真木の目の前に再出現した。顔が触れ合うほどの至近距離に現れた兵部に、驚くよりも先にぐいっと髪を掴まれて。
「しょ、……」
 思わず目を丸く見開いてしまった真木の表情が面白かったのか、くすりと兵部が笑みを零す。そんなトコが可愛いからね、だなんて、こんなむさい長髪ヒゲの成人男性に言うには不似合いな言葉を吐いて、だから、と続ける。
「今日はこれで我慢してやるよ」
 そんな尊大な呟きと共にもう一度、今度はもっとゆっくりと与えられた唇こそが何よりも甘かった。




真木兵部01のバレンタインとは別な感じでお願いします。元ネタは去年のサプリ(14巻?)ですけど。
知人の孫や取引先の受付嬢やケーキ屋の店員がくれたのがもしかしたら義理チョコじゃないかも、とかいう可能性を欠片も考えてない真木がイ・ト・シ・イ♪感じでお願いします。
出来はともかく、バレンタインデイイベントクリア、という実績にほっとする小心者です……。