日常茶飯事

 




 部屋に戻ってきて、さすがにどっかりとベッドに腰掛けた。
「つ……疲れた……」
 思わず呻いたとしても仕方ないはずだ。
 日本古来の行事のためとして島中走り回って来たばかりなのだ。
 真木は溜め息をつきながら上着を脱いだ。予想通りあちこち汚れていて、クリーニングに出さなければならないようだ。
 面倒になって上着をぽいと部屋の隅の椅子に投げたところで。
「お疲れ、真木」
 と、空間の捩れるかすかな音と共に一つの質量が出現した。黒い学生服を見なくても誰だかは判る。プライバシーのために各自の私室の壁にはESP遮断処理がされている。それを超えて移動できるのはこの組織の中で一番強い能力(と真木のプライバシーなんて知ったことか、と言い切れる性格)を持つ兵部だけだ。
「少佐?」
 終了、の一声を聞いてからリビングを出てきたのに、まだ何かあっただろうかと慌てて腰を浮かす真木に兵部はふわふわと宙を移動してきた。そして言うには。
「お前、まだ炒り豆食べてなかっただろ、」
 だから持ってきてやったぜ、と少年姿の育ての親はやや得意げな顔で掌をこちらに向ける。……その白い、たいして大きくない掌には山盛りの炒り豆が載っている。
「歳の数だけ炒り豆を食べると無病息災なんだぜ」
 にこにこといかにも親切かつ無邪気、といった笑顔でそんな事を言われても、その中身が捻じ曲がってて真木を人とも思ってないことはよーく知っている。
「……俺はそんな山盛りは要りません」
 必要なのは二十粒と少し、だ。
 少し、に力を入れて発音しながら真木は言葉を続けてみた。自分でも無謀と判っていても、たまには少しは意趣返ししたい時もあるのだ。
「残りは少佐がどうぞ、……もっとも少佐には足りないかもしれませんね、その量では……痛っ」
 と、言い終わる前に顔にバチバチと豆が襲い掛かってくる。
 咄嗟に手で顔を庇おうとして、だがなぜか腕はピクリとも動かない。勘弁してください、と豆の攻撃を受けながら真木は呻いた。
「部屋片付けるの俺です……っ!」
「そりゃあ、僕のはずないだろ」
 かけらも悪びれた様子のない兵部の言葉にがっくり来たところで炒り豆の攻撃が止んだ。床に飛び散った炒り豆はそれ自体に意思があるかのように一列に並んでゴミ箱へと入っていく。
「食べ物で遊ばないでください!」
「何言ってるんだ、豆撒きだろ?」
「ああもう……」
 何を言ってもまともに聞きやしない。
 と、兵部がにっこりと笑いかけてきた。話を変える気らしい。
「まぁとにかく、今年も鬼の役、ご苦労だったね」
 ねぎらいの言葉に真木ははぁ、と溜め息を混ぜて答えた。たまにの事なら我慢もするが、今年も……というよりも、兵部が豆撒きの行事を混ぜた鬼ごっこ、なる遊びを考えて以来、いつもこの役なのは本当に勘弁してほしい。
 たった今口にした労いの言葉を兵部が忘れていない事を祈って真木はおずおずと提言した。
「鬼は、来年は大鎌でいいんじゃないでしょうか」
「え、なんで?」
 と、兵部がきょとんと首を傾げる。
「奴の能力はこういうのにも向いてると思うのです」
 自分の身体を硬化させる事が出来るマッスル大鎌の能力は子供たちに彼らの能力の試し打ちをされてもダメージが少ないし、陽気で自分の肉体を誇示したがる性格も向いている。
 彼なら真木と違って、黒スーツに鬼の面、とかいうギャップの激しい格好ではなく、それなりに鬼に近い格好をしてくれるだろう(ネクタイは外さないかもしれないが)。
 ニヤニヤ笑いを隠しもしない葉にトラ柄パンツを差し出されて絶句して固まっていた真木を兵部は笑って見逃してくれたが、おかげで子供たちには黒鬼だとか炭鬼だとか適当な名前をつけられてパンドラの島中を追い掛け回されたのだ(若干数名ほど、大人に分類されるべき人物がその中にあったのは真木としては非常に複雑だが)。
「大鎌とコレミツと自分、の持ち回りにしてくだされば、もう少し楽だと思うのです」
 どさくさ紛れにコレミツまで入れてしまったが、ここは友情よりも多少は自分の肉体的と精神的ダメージの軽減のために許してもらう。当日の夜は酒でもおごるから。もちろん大鎌にも、だ。
「どうでしょうか?」
「だーめ」
 だが真木の期待も虚しく、兵部はあっさりと判断を下した。
「鋼はともかく、コレミツはイヤって言えない性格なのに、そんなコレミツに自分の嫌な事を押し付けるのかい? 僕はそんな子に君を育てた覚えはないよ」
「それは……まぁそうですが」
 自分の嫌な事は自分で引き受けるしかないというのは、一見正しいようで、実はそうでもない気がしないでもない。だがああ言えばこう、の兵部を言い負かせる気もしない。
「……判りました」
 やはり来年も鬼の役は自分のようだ。真木はしょんぼりと肩を落とした。と、その肩にぽんと兵部の手が置かれた。
「でもまーいいじゃん、ちゃんと役得にさせてやるから」
「役得……ですか?」
 にこにこ笑顔を崩さない兵部に、真木は嫌な予感でやや首を竦めた。こんな表情と口調の兵部のする事がまともだった例がないのだから警戒するのは当然だ……が、もちろん兵部にそんな消極的な仕草が通じるはずもなかった。
「うん」
 にっこりと頷くと同時に兵部の手がチョイ、と動く。
「うわっ、」
 と思ったら、見えない力で真木はベッドにひっくり返されていた。反射的に跳ね起きようとして、腹の辺りに多少の質量を感じた真木は目を剥いた。兵部が真木の上にどっかりと腰を下ろしているのだ。細いからそう重くはないが、それ以前の問題だ。
「な……なんなんですか!?」
「チビたちに、豆をあちこち当てられただろ?」
「は……はぁ」
 いや確かにその通りではある。そういう行事なのだから、鬼役に豆を投げるのは当然の事だ。パンドラでは超能力の有効利用は奨励されているから、子供たちが彼らの能力を駆使して鬼を豆で攻撃するのは間違いではない。一番強く豆をぶつけてきたのが兵部だった事さえ抜かせば(二番は葉だった気がする)。
 それが何かと問う真木に兵部がにやりと笑って言うには。
「痣になってると君に悪いから、僕が全身確認して、全部治してやろうと思って」
「な……っ、」
 全身、という単語を強めに発音しながら兵部が真木のワイシャツをべろんとめくる。
「痣なんかありません!」
 能力込みとは言え、たかが炒り豆をぶつけられたくらいで痣になるほどひ弱なはずがない(炭素繊維の翼で多少の防御はしていたのだ)。だから必要ないと喚く真木の腹辺りを兵部がぺろりと、まるで猫のように小さな舌先で舐めて、そうしてくすくすと笑う。
「細かい事は気にするなよ、どーせ今からつくんだしさ」
「そ……それは痣違いです!」
 などという真木の叫びは当然のように無視された。
 結局は、いつもの事なのである。


 翌日、むっすりと朝飯の支度をする真木は朝も早いというのにきっちりと襟元までボタンを掛け、しかもネクタイまでしっかり締めていたのであったが、その理由が真木のベッドでまだ寝こけている人にある事に気づいた何人かは敢えて追求しなかった。
 経過はともかく、結果自体はいつもの事だったりするからだ。

 一年に一度の行事の後でも、結局は日常茶飯事の光景なのだ。



節分で何か書こうと思ったものの、何も思いつかなかったのですが、セクハラ兵部を思いついたらどうにかひねり出せました。
あ、こんな暗転ですが、もちろん真木×兵部ですよ!(笑)