(untitled) |
――ガシャン、と何かが割れるけたたましい音に弾かれるようにノートパソコンの画面から顔を上げると、リビングの真ん中で兵部が真っ青な顔をして突っ立っていた。 音は、その手から落ちたティカップが砕けて立てたものだ。 「少佐?」 呼び掛けにもこっちに目も向けず、柳眉をきつく寄せて強張った顔はいつもの兵部なら絶対に見せないはずの表情だ。 外へと首を巡らせて一瞬遠くを見るような目をして、だがすぐに視線が戻り、苛立たしげに小さく舌打ちした兵部が呟く。 「……だめだ、」 「少佐、どうしたんですか」 何かがあったのは間違いない。紅葉がTVを消す傍らで、タイプ途中のデータをそのままに真木は兵部へと駆け寄った。 と、兵部がようやく真木を見た。そして口を開く。 「葉の思念波が消えた」 「な、」 その言葉に真木も紅葉も思わず息を呑んだ。どういう事だ。 「葉だけじゃない、パティも鋼も」 高超度の精神感応能力者でもある兵部にはその気になればかなりの距離を隔てていても思念波のトレースが出来る。その彼が『消えた』と言う現象の意味を考えれば事態の深刻さは真木にも判る。 「桃太郎も混乱してるみたいだ」 「……紅葉!」 「判ったわ」 詳細はわからないものの、何かがあったというのは判る。 真木が首を巡らせると、小さく頷いた紅葉が姿を消すところだった。桃太郎を迎えに行くためだ。 リビングがシンと静まり返る。 「…何があった、……」 ぎり、と兵部が歯を軋らせる。 「…追いかけなきゃ」 「桃太郎なら今紅葉が連れてきますから」 「そんな余裕ない、」 「少佐!」 いつもとは違うひどく不安定な、独り言のような言葉を口に、ふらりと窓の方へ一歩を進めるおぼつかない足取りを見た真木は咄嗟にその腕を掴んでいた。そのまま強く引く。 「ま……、」 反射的に身を竦めるその身体を腕の中に抱きしめる。 常に余裕を持った姿を見せていても兵部だって人間だ(老獪で、なかなか普通には太刀打ちできない精神構造をしているのは知っているが)。 独りでいた時間が長かったから、そして今は不遇な仲間を救う事が彼にとっては存在意義でもあるから、パンドラという組織は、兵部の中では当初よりもずっと重みのあるものになっている。 そして葉は、兵部にとっては最初に家族になった内の一人だ。 一番幼いのに一番辛い目に遭って来て、兵部に拾われたあの頃は言葉もうまく出来なかった葉をどれほど可愛がっていたか、今ではすっかり兵部の背丈を追い越した葉と、未だに小さな子供のようにふざけあってる時の兵部がどれほど優しい目をしているか、真木は知っている。 だから。 今の兵部に何が必要か、真木の行動はきっと間違っていなかったはずだ。 ――ややあって、腕の中の兵部が小さく身動ぎした。 「……ごめん、」 もう大丈夫、との言葉にそっと腕を解く。 胸の中から顔を上げる兵部の表情には先ほどまでの不安定さはなくなっていた。白い顔の中で真木を見るのはいつもの冴えた漆黒の瞳に戻っている。 「あいつらの事です、そう簡単に消えたりしません」 助かった事に、消えたとされるメンバーを並べれば(性格はともかく)能力的には上手くバランスが取れている面子だ。能力を適材適所で使えさえすれば最悪の事態は避けられるはずだ。彼らはそれだけの高超度能力者だ。 それに、現時点ではパンドラの敵になるような組織は日本にいないのは確認済みだ(若干気になる存在はいるが、兵部は今は事を構える気はないようで放置している)。今回トラブった相手がバベルなら、連中は根が甘い人間ばかりだから死ぬような事態には陥っていないだろう。 ならば今からでも取り戻せる。冷静な判断と状況に応じた能力さえあれば。 「それに、その中に葉がいるなら絶対に大丈夫です」 自分がいなくなったら真木に全部とられるというのは判っているはずだから。 「あいつは、そう簡単に諦めたりしません」 何を、とは言わなかったが、それだけで兵部にも通じる。 「……そうだね」 くすりと笑った顔は、もういつもの兵部だ。それに安堵するのは、兵部が自分を取り戻せた事と、そうすれば事態が解決に向かえる事を確信しているからだ。 「そろそろ紅葉が桃太郎を回収している頃でしょうが……」 迎えに行きますか? 「泣いてるペットを慰めるのは飼い主の役目だからね」 伺えば当然とばかりに小さく頷いて。 「じゃあ改めて、……皆を取り戻しに行こう」 ふぅと小さく息を吐いて、そうして兵部が真木へと手を差し出してくる。 「はい」 その白い手を真木は躊躇うことなく掴んだ。 たとえどんな事があっても、決して離れる事がないように。しっかりと強く強く。 |
サンデー号を見ての突発SSです。UP出切るものが少ないので日記からサルベージ。 |