初詣 |
初詣に行きたいと言い出したのはもちろん兵部だった。 生活に必要なものなら大体揃えているパンドランド(葉がそう命名して、いつの間にやら定着してしまったこの名称が真木には不本意で仕方ない)だが、さすがに神社までは揃えてない。 島内に神社がない事は、このアジトを作った当人である彼は当然知っているはずだ。それでもうっかり忘れているのかと恐る恐るその旨を報告すると、彼は当然のように頷いて、だから今からどこかへ行こう、と言った。 今、と言われた真木は思わず時計を見やる。 皆の集まっているリビングに置かれたTVの一つからは国営放送による除夜の鐘が響いているし、その対角のTVには何やらアイドルグループによるカウントダウンライブが映っている。 あと十分ほどで年が明ける、そんなタイミングだ。 「正式には除夜詣だね」 とニコニコしながら兵部は言い、外を示す。東京の方向だ。 「ですが、子供たちは除夜の鐘を聴いたらもう寝せなければなりませんし、紅葉たちはテレビの前を離れないと思いますが」 「えー」 兵部は口を尖らせた。実際、声量は抑え気味とはいえ、それほどひそひそ話しになっているわけでもないのに、誰もこちらを見ようとしない。この時ばかりと大盤振る舞いされるアイドルの映像にすっかり夢中のようだ。 「日本人なんだから年明けは初詣くらい行かないと」 「ですが少佐」 パンドラのメンバーは世界各国から集められているから、日本の風習に完全に則る必要はないのでは、と真木は思ったが口にはしなかった。 「初詣は広義では一月内に行けばいい事になっていますし」 その代わりに一応の知識を述べれば兵部がむっと口を尖らせる。 「……じゃあいいや」 「そ…そうですか」 あっさりと戻った返事に思わずほっとする。覚悟したよりも引きが早いのは、さすがに今から、と言っても誰も喜ばないとわかるからだろう(子供たちなら反応は違うだろうが彼らにはこれ以上の夜更かしは許していないし、既にもう眠そうだ)。 「なら、明日起きてから改めて、どこに行くかを……」 つい明らかな安堵を滲ませてしまった声を途切れさせたのは、嫌な予感がしたからだ。 「……少佐?」 ソファから少しだけ身を起した兵部が手を上げて、掌を差し出すようにしているのは自分へ向けてで。 「おいで、真木」 と、その一言だけで何が起こるのかを悟った真木はやれやれと小さな溜め息一つで空間が捻れる感覚に身を任せた。 ■ □ ■ 「……人が多い」 「当たり前です」 ひどく不本意そうな口振りに真木はやれやれと溜め息をついた。 兵部が瞬間移動したのはよりにもよって日本でも有数に初詣先として有名な神社だったのだ。 テレビで見ていた時以上の人でごった返していて、さすがの長身の真木でも気を抜くとあらぬ方向へ流れていってしまいそうな混み合い方だ。真木でさえこうなのだから、真木より小柄で細い兵部など、超能力者でなければあっという間に押し流されていってしまうだろう。 こんな場所で兵部から離れるわけには行かない(兵部は真木を見つけ出せるだろうが、あいにく真木には精神感応系の能力はない)から絶対に気を抜かないようにしなければ、と気合を入れる真木に、兵部が(二人の間には既に数人の流れが出来かけていた)首だけで振り返って言う事には。 「真木、手」 「は?」 人に押されて一歩をふらついた兵部が掌を見せるのに、真木は首を傾げた。今度はいったい何なのだ。 「手がどうかしましたか?」 「はぐれたら面倒だろ? だから、手」 繋ごう、と言われて思わず目を見開いてしまった。 「は……はぐれません、」 昔と違ってもう真木は人一倍長身に育ったし力もある。この人混みでも、行く方向さえ指示してくれれば兵部をフォローしながら進んでいけるはずだ。 それに兵部には複数の超能力がある。いつものように催眠能力でも使って人の海を自分の前で半分に割って、モーゼのごとく悠々とそこを歩くのだと思っていたのに。 「やだよ、」 なのに、兵部ときたら真木を見上げて更に言葉を重ねる。 「お前ははぐれなくても僕がはぐれちゃうかも」 だから。 「手」 「…………っ」 にっこりと、満面の笑みを浮かべて白い手を差し出されたら拒む事なんか出来やしないわけで。 年が明けたばかり、まだ除夜の鐘の残響さえ消えていないような空気の中で、しかもこんなに山ほど人がいる場所で、大の男が二人で――確かに、自分はともかく片方は少年にしか見えない容姿をしてはいるけれど――並んで、それも手を繋いで歩いているだなんて、絶対にありえない光景のはずなのに。 だけど、繋いだ手はいつもよりあたたかくて、真木からはどうしても離せない。混んでるせいもあってぐいぐいと押してくる失礼な参拝客から兵部の細い肩を守ろうと、逆に力を込めて真木はその白い手をぎゅっと掴んだ。 ■ □ ■ 「真木、僕の分の賽銭くれよ」 「……五円でいいですか?」 「パンドラとあろうものがケチっぽい事言ってるなよ」 あまり信心深い方ではないので財布に入っているであろう小銭の中でも単価の小さいものを提案すると、兵部は不満そうに鼻を鳴らす。 「ぱぁっと万札出せよ」 「……はい」 必要な出費ならともかく、賽銭なんて明らかに不要な出費だ。 きり、と胃が痛くなるが家長の命令では仕方ない。渋々と胸ポケットから財布を出したところで、二つ折りの財布の厚みが急にがさっと減った。 「少佐っ!!」 それが何を意味するのか気づいてぎゃあと叫んだ時には、朱塗りの賽銭箱に複数――と言うよりもずっと多い数の紙幣が押し込まれている。 「あれは、三が日の間の生活費です!」 どうしてくれるんですかとさすがに食って掛かると兵部がうへぇと整った顔を顰める。 「まだ本当は若いのに、所帯じみたこと言うなよ」 「パンドラは普通より大きい所帯なんですよっ」 本当は、は余計だとも思ったがそれを言っても始まらないので、大事なところに的を絞って抗議する。……もちろん聞く耳を持つ人ではないので、特に堪えた様子もなく、兵部は首を巡らせた。 「真木、お前のせいで混んでる」 「それまで俺のせいなんですか…って、すみませんすみません」 「――さて、もう行くか」 ひょいと兵部に自分の背後を示され、思わず振り返った先で次に並んでる人と目が合ってしまった。こんな夜中だというのに綺麗に化粧をしてきらびやかな振袖を着ている若い女性の、そんな容姿に似つかわしくない殺気に満ちた視線の迫力に真木が反射的に頭を下げた瞬間、浮遊感とともに視界が大きく変わる。 どうやら兵部の興味と用事は終わったようだった。 ■ □ ■ 「やれやれ大変だったね」 人が溢れている境内から少し離れた林の中で兵部が溜め息とともに大きく伸びをする。それを真木は胡乱な目で見やった。少し考えれば判るはずの結果だったのに、兵部はこういう事に関してはかなり思いつきだけで動くから困ってしまうのだ。 「今度はもう少し人の少ないところでお願いします」 「いいとこ調べといて」 とは言え、真木の控えめな頼みに素直に頷くところを見ると、どうやら兵部もこの人混みにはさすがに閉口したらしい。昔はあんなじゃなかったのに、とぶつぶつ呟く兵部に真木はこっそりと肩を竦めた。彼の言う『昔』は十年とか二十年とか言う可愛いものではないから困るのだ。 「で、願い事は? 何か祈ったかい?」 思い出したようになんだかマトモな事を問われて真木は目を瞬かせた。まぁ確かに、今何をしてきたかと言ったら、普通にマトモに人波に揉まれながら普通に参拝してきたことになるわけだから、兵部の言葉もそれほどおかしくはないのかもしれない。 「少佐は、どうなんですか」 「別になーんにも」 「は?」 「だって神なんかに祈ったって叶うものなんか少ないだろ」 「……それは、そうかもしれませんが」 ならばなぜ初詣、だなんて言い出してこんな混みあってる神社を選んでやって来たのか。しかもいったい幾ら賽銭箱に入れたというのか。 「そりゃさ、たまには他の人間の真似事やってみたくなる事もあるだろ? それに、」 と彼は付け加えた。 「こういう時でもないと、もう手を繋いでくれないじゃないか」 「…………だ、騙されませんよ」 ちらりと上目遣いでそれはそれは綺麗に微笑まれて、ぐらりと揺れるのを堪えて懸命に身構えれば表情を戻したちぇっと兵部が舌打ちする。案の定作為的な台詞だったようだ。そんな事をしても何も楽しくないだろうに。 「で? お前はなんて祈ったのさ?」 「……秘密です」 答えたら、兵部が一瞬目を据わらせてから。 「この僕の前に秘密なんて」 「しょ、少佐っ」 言うなり念動力で一気に距離を詰めて右手を伸ばしてくるのをぎりぎりで避ける。第二陣の左手を咄嗟に髪を伸ばして作った炭素製の『手』で受け止めて生身部分と距離を作る。 「大した事を考えたわけではありませんよ、いちいち透視しないで下さい!」 「だって隠されると気になるんだもん」 抗議する真木にあっけらかんと兵部は返す。 「まぁどーせお前の事だから、パンドラの存続と発展とか僕の健康とか、大体がそんな事なんだろうけど」 「……っ」 思わずぐっと詰まった。まさにその通りだったからだ。 「い…いけませんか」 「相変わらずだなお前は」 パンドラの幹部としてはそれを祈るのは当然のことだ。恥ずかしい事ではないと開き直れば、やれやれと少し呆れた顔の兵部が頭を撫でてくれた。助かった事に、言い当てた事で兵部の興味は消えたようで、その手からは何の振動も感じない。 その事に安堵して真木は白い細い手をおとなしく受けた。兵部の手はたまに悪戯好きでたまにトラブルメーカーでたまに残酷だが、ちゃんとこうやって優しい時だってあるのだ。 「そういや忘れてたけど」 と、何かを思い出したように兵部がひょいと顔を寄せる。 「明けましておめでとう、今年もよろしくな」 「そんなの、今更でしょ…ぅ…――」 と言いかけたところで更に距離を詰められた。間近に迫った白い貌にどきりと心臓を跳ねさせる余裕もない内にもっと近くなった瞼がゆっくりと伏せられて。 「少佐……」 ふわりと触れるだけの甘い唇が再び距離を作る前に自分の両腕に包んで柔らかく、だがしっかりと抱きしめる。 もう一度、今度は深く唇を合わせる寸前、薄赤い唇が満足そうに微笑むのが見えた気がした。 そんなわけで今年のパンドラ的初詣は兵部と真木の代表によるものでおさまった。 来年はもっと人の少ないところに皆で行こうとウキウキしている兵部を眺めて溜め息をつく真木であったが。 この人の傍にずっとずっとずっといられますように。 ……なんて事も祈ってしまった事が真木の今年最初の秘密だったりもした。 |
初詣の話なのにこんな時期になってしまいました……。普通、初詣は三が日以内らしいですよ。 |