Call My Name



「……こ…の、……っ」
 戦慄いた男の口からは呻きと混ざって赤いものが溢れた。
 言葉も出せずただ睨みつけてくる視線を無視して髪――今はその先端は炭素繊維で形作られた鋭利な槍の形で男の胸を貫いていた――を引き抜き、能力を収束させる。
 漆黒の炭素繊維がその意思に従って消失し、鉤爪のついた手から拳銃が床に無造作に投げ出された。粗悪な改造銃で、わざわざ取り上げるほどの物でもなかった。
「警告はしておいたはずだ、パンドラには手を出すなと」
 真木の本当の手自体はスーツのポケットに突っ込まれたまま、一度も出されてはいない。そんな必要はなかった。銃ごときで超能力者をどうこう出来るわけがないのだ。
 それを悟ったのか、男が諦めたように銃へ伸ばしていた手を下ろす。……否。もうそんな力もなくなったのだ。
「……ばけも、…の……」
 呪詛と共に床に崩れ落ちた身体を冷たく見下ろし、真木は小さく呟いた。
「どう呼ばれようと、」
 言い捨てると口を一文字に引き締め、くるりと踵を返す。
 高層ビルの一室から夜の空へと真木は身を躍らせた。


 ――見慣れたビル群の風景に目的地が近い事を見て取った真木は能力の発動を収束させた。漆黒の翼が縮まるにつれ滑空距離が短くなり、高度が下がる。
 路地裏の暗がりに降り立って、ふぅと一つ大きく息を吐きながら真木は身仕舞を正した。
 人の多い地上を歩くより空を飛んだ方が移動時間としては早いが、風圧で服が乱れるのはちょっと困る。
 ずれたスーツの袷を直しながらふと空を見上げる。
 それはあくまでも自分の通ってきた道を振り返るだけの仕草であり、それ以上の感慨はない。
 遠い彼方でサイレンがけたたましく鳴っているのさえ、真木にはもうどうでもいい事だった。


■ □ ■


 ドアを開けたところで小さな子供たちと鉢合わせした。
「あ、マギーだおかえり〜」
「……誰がマギーだ」
 低く唸ったが子供たちはそんな抗議には耳を貸そうとしない。口々に適当な呼称で真木を呼んでわらわらと駆けてくる。
「遅いから探しに行こうって皆で言ってたの」
「ご飯は食べた?今日はもみじねーちゃんが作ってくれたよ」
「……すまない、今日は外で済ませてきた」
「えー、ずるいー」
「紅葉のご飯、変な味したのにー」
「おいこらお前ら、紅葉に聞かれたら大変だぜ」
 子供たちの騒ぎにリビングから顔を出した葉が笑いを堪えつつ宥めるのをよそに、真木はまとわりつく子供の一人に身を屈めた。手にしていた箱を差し出す。近所のドーナツ屋のものだ。
「代わりにこれを買ってきたから皆で……」
 ――と、視界がぶれた。
「まーぎ、ダメだろ」
 瞬間移動させられていたのだと判ったのは、廊下の端に立っている兵部の傍らに位置させられているのに気づいてからだ。
「帰ってきたら、まず最初に僕のところに来なきゃ」
「は、はぁ」
 そんな約束はしてなかったし、つい一瞬前までは兵部はここにいなかった。だがその言葉の真意を窺う前に兵部がにっこりと笑って、そうして首を巡らせる。
「ちょうど暇にしてたんだ、付き合えよ」
 と、その言葉と共にもう一度視界がぶれた。
「……さてと、じゃあドーナツ食おうぜ、一人一個な」
 残った葉は小さく吐息をついた。やれやれ、という呟きにはかすかに安堵の色が滲んでいる。兵部のおかげで子供たちはどうにか気づかずにすんだようだ。
「えー、もっと食べたーい」
「葉っぱのけちー」
「……お前らな」
 無邪気な子供たちの言葉に口元を引き攣らせつつ葉は努めて明るい声で子供たちをリビングへ誘導した。
「紅葉の分も残しとかないと、壁に貼り付けの刑だぜきっと」
「もみじはだいえっとすればいいのにー」
「だよねー」
「……ホントに怖いもの知らずだなお前ら」
 言いながら葉は兵部の部屋の方角へ一度だけ気遣わしげな視線を投げ、それから後ろ手にドアを閉めた。


■ □ ■


 瞬間移動で来たのは兵部の部屋だった。
「ちょ……少佐?」
 連続での急な瞬間移動に瞬間移動能力者ではない真木の三半規管が軽いズレを訴える。かすかな眩暈を堪えている間に、白い手がふと真木の頬に伸ばされた。
 指が何かを拭うように動く。
「血がついてる」
 言葉に真木ははっとし、そうして俯いた。
「……すみません」
 子供たちからさりげなく引き離された理由がようやく判った。
 パンドラに身を寄せる彼らはまだ幼いが、中には精神感応能力者もいるし、血というものを体験で知っている子も多い。半時間前の真木の行動に気づく可能性は否定できなかった。
「君のじゃないね?」
「ケガなんか。……あんなのは雑魚です」
 真木は首を振った。兵部ほどではないにしろ、真木も一般社会からは弾かれたほどの高超度の能力者だ。あの程度の普通人に後れを取るはずがない。今日程度の事など、本当に些細な事だ。
 なのに兵部はじっと真木を見て、そうして少し哀しそうな目をして微笑む。
「ありがとう、真木」
「いいえ」
 兵部の言葉に真木は大きく首を振った。
 これは兵部に命じられたことではない。この作戦は自分の判断によるものだった。パンドラの存続のために必要だと思ったからだ。だから兵部に何か言葉をもらうほどの事ではない。
「当然のことです」
「……そうだね」
 頑なに繰り返す真木に兵部が小さく頷く。
「でもそれは、君じゃない他のみんなのためだろ」
 真っ直ぐ真木を見る闇色の瞳は不思議に優しく見える。
「だから僕は、それを当然とは思わないよ」
 ありがとう真木。
「少佐……」
 髪を掻きまわすように撫でられて、真木はその手の感覚に身を委ねるように目を閉じた。
 誰かの血で自分の手を汚す事を厭わない。
 これは、突き詰めれば本当の強さではないのかもしれない。
 だがこの世界には、それをしなければ生きていけない者たちも確かにいるのだ。
 ならば自分はその道を選ぶ。自分がそうする事で出来るだけ多くの誰かを幸せに、きれいな白い手でいさせるために。
 そう思って今まで来た。その決意を後悔した事などない。
 ……でも、と真木は内心で呟く。
 でも本当は。
 本当は、そんな崇高なものではないかもしれない。
 同胞のためと言い訳をしつつ、本当は真木の世界でもっとも大事で大切な人の望む世界を作るため、というただそれだけの利己的な目的なのかもしれない。
 だって、いつでも真木の脳裏にあるのは兵部の笑みなのだから。
「少佐」
「なんだい、真木?」
 縋るように何度も呼んで、その度に兵部はちゃんと名を呼んでくれる。
 それだけで充分だ。
 誰かの血で赤く染まった手でも、絶対に未来を掴んでみせる。
 彼の望む未来を。
 ただそれだけが自分の望みだ。
 ……だから。
 何度も自分に繰り返す。

 だから、他の誰にどう呼ばれようと。
 優しい声で自分を呼んでくれる人がいる限り、自分は何にでもなれるのだ。




猫紐さまの09/01/05のログの真木が珍しくすごく格好良かったので!ちょっと妄想膨らませてみました。
真木は、兵部の前以外では本当は結構格好いいのかもしれません。実は結構有能だし。
でもそんな真木ちゃんが、兵部の前では全然ダメなところがいいんですよね!゚+.(・∀・)゚+.゚

……という主張がしたかったので、何となくCP項目に入れてみました。何も色っぽいところはないですが。