SLEEPING BEAUTY



「……まったく、こんなところで眠ってしまうなんて」
 一応何度か声をかけたが長い睫毛はぴくりとも動かず、ひたすら静かに眠っている白い顔に真木は大きく溜息をついた。
「ご自分の部屋があるのだからそこに戻ればいいだろうに」
 瞬間移動能力者には、自室に帰るなんてそれほど面倒でもないはずなのに、兵部はしょっちゅうリビングのソファでクッションを抱えて丸くなったまま寝てしまう。
 一人が好きなくせに一人きりでいるのが嫌い、という複雑な思考(というかまるで猫のそれだ)の持ち主には、広いリビングに何人もが集まっている雑然とした雰囲気の方が安心できるらしい。
 とはいえ、もう就寝時刻はとっくに過ぎて、他の者も皆自室に引き上げたあとだ。真木としてはそろそろ戸締りを確認して自分も就寝したい。
 せっかくの眠りを妨げたくはないがまさか一晩中リビングに置いておくわけにも行かない。それにこんなソファでは兵部の身体が休まらない。
 真木はもう一度、今度は小さく溜息をつくとおもむろに身を屈めた。
 くったりと身を横たえているソファのクッションと本人のわずかな隙間の間に手を差し込むようにして、そっと……細心の注意を払って抱き上げる。
「……?」
 と、兵部の身体は思った以上に軽い。
 真木はふと眉を寄せた。すぐにその理由には気づく。確かに兵部は細身の体に相応して(いや身長から察するよりも遥かに)体重もひどく軽いが、それでも今の抱き上げた時の手ごたえは軽すぎた。また痩せてしまったのかと心配にもなるが、昨日も同じように寝入ってしまっているのを抱き上げたときはそうでもなかったから、そうなれば今ひどく軽く感じる理由は一つだ。
 本当は起きている――つまりは狸寝入りというやつだ。
「……まったく」
 真木はふぅと息を吐いた。
 本当は起きているのなら、一度ソファに下ろして目を開けさせ、リビングでだらしなく寝ないでちゃんと自室に行ってくださいとか、寝たふりなんかしてないでくださいとか言い聞かせてもいいのかもしれない。
 相手は自分よりもずっと長く生きていて、分別も十分についている(はずの)年齢なのだ。
 ……でも。
 狸寝入りといえば聞こえは悪いが、つまりはすごく眠くて夢うつつの状態なのだとすれば起こすのには忍びない。
 結局真木はいつも以上に静かに静かに廊下を進み、兵部の部屋へと到着した。電気をつけたら本当に目が覚めてしまいそうだから、星の明かりしかないうす暗がりの中を探るようにして彼の寝室へと足を向ける。兵部が本部に滞在している時はほぼ毎日通っているから今更どこかにぶつかったり転んだりはしない。
 両腕では兵部を抱えたまま、髪を伸ばして作った漆黒の『手』できちんとメイクされた(朝、真木がしたのだ)ベッドのカバーを外しつつ、ふと気づけば胸の辺りに兵部の頬が寄せられてて、どきりとする。
 見下ろす先の伏せた長い睫毛が影を落とす顔は暗がりにひどく白く、無防備に薄く開いた赤い唇はふわりとやわらかそうで、全体的に同性のものとは思えないほど綺麗で色香に満ちていて、しかもその手は真木のスーツの胸元をきゅっと掴んでいる。
「しょう……」
 思わず見惚れてうっかり顔を近づけ気味にしてしまって真木ははっと我に返って顔を上げた。
 今自分は何をしようとしたのか。
 眠っているのならともかく(いや眠っていてもしていい事ではないが)、相手が半分起きていると知っていてまるでキスしようとするみたいに距離を詰め掛けてしまうなんて。
 相手は兵部で、彼のことだからいつものように我侭を振りまいて、なかなか厳しい事を言えない自分に甘えているだけなのに。
 相手が夢うつつの状態とはいえ、さっきからどきどき言ってる鼓動の早さをもし聞かれていたら最悪だ。
 慌ててベッドの上に(一応そっと)兵部を下ろす。シャツの襟元を寛げてやるのも、指が震えてしまっていつもよりちょっと大変だった。出来るだけ兵部の顔や首筋を見ないようにしていた分、余計だったかもしれない。
 そうやって横たえた兵部にタオルケットを掛けて、途端真木は踵を返して部屋から一目散に逃げるように飛び出した。
「お……おやすみなさい、少佐」
 ドアを閉めて数歩歩いたところでとうとう気力が尽きた。壁に背中を預けてふぅと大きく溜息をつく。
 ああもう、と呻きながら真木は胸を押さえた。まだどきどきと、早いリズムで心臓が全力疾走している。
「心臓が持ちませんよ、まったく……」
 思わず呟く。
 育ての親で、純粋に敬愛していなければならないはずの相手にこんな邪な想いを抱えているなんて知られたら。しかも相手は接触精神感応能力者でもあるのに。
 どうにか今日もばれずに、そして耐える事が出来たけれど。
「……いつまで続くんだろう」
 薄暗い廊下で真木は深く深く溜息をついた。この廊下のように先はぼんやりとしか見えないのに、この気持ちが変わる事なんてないのだけが判っている。
 ふと彼の手がみぞおち辺りを押さえて。
「……胃も持たないな、きっと」
 もう一つ溜め息をついて、そうして彼は自室へと重い足を運んだ。

 だから真木は知らない。
「……まったく、」
 今度こそぱちりと目を開けた兵部がつまらなさそうな顔でベッドの上でころりと寝返りを打ったのを。
「こんなに露骨に誘っても気づかないって、……あの鈍感」
 やれやれと呆れた表情で銀色の髪をかき上げた兵部の。
「なーんであんなにオクテに育っちゃったかなぁ」
 そんな勝手な呟きを真木は知らない。



狸寝入りしてるのに気づいたなら起こせばいいのにそれさえもしないで一人であたふたしてるおバカさんな純情さんです。
兵部は真木をからかっていじめるのも生きがいなんだと思います……気に入ってるからこそなんですが、でも気の毒なのも確か(笑)。