朝、目が覚めたら超不機嫌そうな顔が目の前にあった。
「お、はようございま、す」
反射的に逃げる体勢をとってしまうのは今までの経験によるものだ。
「おはよ」
声がややかすれているのは、……まぁ当然として、いつもより半オクターブほど低いのは機嫌が悪い証拠だ。
何がまずかったのだろうか。
真木は寝起きの頭で懸命に記憶を辿った。
夕べは兵部に呼ばれて彼の部屋に行ったらバスローブ姿の兵部が出迎えてくれて、いつもの禁欲的な黒の学生服(それがまたすごくいいのだが)とはまた違うひどく色っぽい姿にどきりとした真木の心拍数の速さを知っているかのような、見透かす眼差しで兵部が笑って。
『今なら邪魔なのがいないから』
なんて、ちょっと悪戯っぽい目でキスをくれた。
風呂上りで上気した頬や首筋を見ても表情を崩さないでいられる自信はあるが(兵部にはよく仏頂面と言われるが自分では無表情に出来ていると思っている……というか信じてる)、それでも物心がついてから十数年以上も兵部の事しか見えていない身はそれほど自制心が強くもいられない。
兵部から誘われたら、拒むなんて出来るはずもない。
……そんなわけで、仕事の打ち合わせに行ったはずが、まぁなんか全然別の色々な事までしてしまったわけで。
ちょっと途中から兵部の身体の甘さに夢中になってしまって加減が利かなかったから、少し無理をさせてしまったかもしれない。 でも兵部も辛いとは言わなかったし、気遣いが足りなかったとしょげる真木にやわらかい笑みもキスもくれた。
終わってから半分眠ってしまっている兵部を宥めすかして風呂に入れて服を着せて、大きなベッドの真ん中で二人で眠るまでは特に何もなかったし、兵部も真木に身をすり寄せて眠ってくれたのに、なぜ朝になったらものすごい不機嫌顔なのだろう。
疑問でいっぱいの真木は恐る恐る頭上の兵部を見上げた。
「……あの、どこか調子でも?」
「全身だるい」
「……すみません」
端的な返事に思わず首を竦めてしまった。が、予期したような八つ当たり攻撃は来ない。
恐る恐るもう一度見上げたところで、
「…………ああくそ」
と、彼にしては珍しく品のない罵り文句を口にその身体が傍らのシーツの中にとさりと落ちる。
「大丈夫ですか?」
慌てて起き上がって、兵部の上体を抱き起こす。と、兵部が瞼を開けて言うには。
「めちゃくちゃだるい!!」
「す……みません」
よく考えれば誘った兵部も同罪のはずだが、そんな事言える立場ではない。悄然と繰り返す何度目かの謝罪に兵部がくすっと笑うのが聞こえた。
「……でもまぁ悪かなかったよ、真木」
「そ……うですか、」
そうして笑い声混じりに耳元に囁かれると心臓が早鐘を打ってどうしていいか判らなくなる。どぎまぎして視線を兵部に向けられない(ぐったりした身体にパジャマは着せたがちゃんと一番上までボタンをしめればよかったと鋭意反省中だ)。
「それはいいんだけど、桃太郎が帰ってこないんだ」
「桃太郎が、ですか?」
と、まったく雰囲気の変わった言葉に真木は眉根を寄せた。
モモンガは基本的に夜行性だ。もちろん人間に近い知能を持つ桃太郎は昼も動けるが、日中はあまり活動的ではなく、兵部の肩や頭に乗って楽をしていることが多い。そして夜一人で出歩いても明け方までには帰ってくるのが普通だ。
「どっかで朝寝坊でもしてるのかな」
かなり気になっているようで兵部の表情は晴れないままだ。
「探してきましょうか?」
旧陸軍の実験施設から拾ってきたあのモモンガを兵部が(口で言うよりは)可愛がっているのは知っている。
「いや、まだいいよ」
ベッドから出ようとした真木の髪がつんと引っ張られて引きとめられる。
「もう少し待とう」
「よろしいのですか?」
「余韻もなく一人にされるのはつまらないからね」
「ならいいのですが……って、……」
何の気なしに頷いて、しばらくしてから兵部の言葉のその意味に気づく。真木はじんわりと頬が熱くなるのを感じて慌てて目を逸らした。
それをじっと観察するように見ていた兵部が不意に声を立てて笑った。そして白い手が伸びてやわらかく真木の首に巻きついてくる。
「まぁあいつがいる時はさすがに好き勝手出来ないからな、何なら今からもう一回するかい?」
「いえ、まさかそう言うわけにも……」
「うん、なんかしたくなったな!」
逃げようと慌てて身を引いたのが悪かったのか逆に強く引っ張られ、目の奥を覗き込むような至近距離でニッと笑われればもう身じろぎも出来なくなってしまう。
行為の後に超能力を使われるのを嫌ったり(労力を省かれるのが気に入らないらしい)、翌朝一人にされるのを嫌がったり、そして窘めようとすると逆にしがみついてきたり。
ホントに我が侭で子供っぽい人だと思う。真木よりもずっとずっと年上なくせに。
「……ああもう、どうしてあなたはそうなんですか」
「でもたまには朝寝坊も悪くないだろ?」
「はぁ、」
やれやれとこれ見よがしに溜め息をついてみせて、でも白い腕にを回されて緩く抱き込まれてそんな言葉を言われてしまえばすぐに火がついてしまう。おっさんとか失礼な事を周囲に言われてはいるが本当はまだそこそこの年齢だし、しかも相手は兵部なのだから当たり前といえば当たり前なのだ。
何だかそんな開き直りを内心でしている真木を見透かすように兵部が目を三日月のように細めて満足げに笑う。
そのまま近づいてくる白い面差しにこちらから唇を近づければ、触れ合う寸前でふと思い出したように兵部が、でも、と付け加える。
「あまり戻ってこなかったらお前も探すの手伝えよ」
「……もちろんです」
とか答えながらも、いったい何の事だったか、とか一瞬考えた後に、もうしばらくは帰ってこないでほしい、なんて思ってしまったのはもちろん秘密だ。
もしかしたら、接触精神感応能力者の兵部にはもちろん全部お見通しなのかもしれないけれども。
とりあえず今は面倒な色々は考えない事にして、真木は腕の中の存在に集中する事にしたのだった。
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