ある夜の話 |
いくらパンドラが反社会的集団と言っても、全てにおいて社会的通念を否定しているわけではない。どちらかと言えばその逆で、いわゆるイベント、と言われるものが豊富な組織でもある。 そのだいたいがお祭り好きな兵部の一存によるものだ。 最近はそこにひな祭りが入った。……もっとも、これに関しては二度目はないような気がしないでもないが。 あの物言いと態度だから誤解をよく招いているが、本当を言えば兵部自身がイベントを好きなのではない。そういった時の子供たちの楽しそうな顔を見ているのが好きなのだ。 だから例えば、年少組、と真木が呼んでいる幼い子供たちにはそれぞれ記念日、なる行事を毎年行う事になっていたりする。 パンドラにいるのはその能力のために不遇を受けていた子供たちが主だから当然その何人かは本当の誕生日は不明だ。代わりにパンドラにやってきた日を『記念日』として祝うのだ。 今日もそんな子供の『記念日』で、そういう時はあちこちふらついていてなかなか本部に戻ってこない兵部もよほどの事がない限り顔を出す。もちろんその子が一番欲しいと願っていたプレゼントを手にして、である。接触感応能力者である兵部には容易な事ではあるけれど、そのくせ子供たちにとっては兵部に会える事こそが何よりのプレゼントだと判っていないのが多少問題と言えば問題だ。もっとも結果としては、子供は二重に喜ぶのだから真木は敢えて口を挟まない事にしている。 「眠い……」 特別な日だから、といつもより少し遅めに設定さていた消灯時刻を宣告された年少組が葉と紅葉に追い立てられて渋々出て行き、ようやく静けさが戻ったリビングで兵部が大きく欠伸をする。 ソファの上に横倒しに身を横たえて抱き枕よろしくクッションを両腕で抱えてごろごろしている姿は猫だ。 しかも大きな銀色の猫である。血統はいいのに放浪癖があって、ごくたまに帰ってくると一番居心地のいい場所で我が物顔で寛ぐ我が侭な猫だ。 真木はその前の椅子に座って書類を広げながら声を掛けた。 「もうお休みになったらどうです?」 「えー、まだ眠くないよ」 ごく当然の提案をすれば途端に口を尖らせる。初めての夜更かしで子供がまだ眠くないと言い張る時のようだ。 いっそそう言ってやろうかと身構えたところでふと兵部が真木を見上げ、小さく微笑む。 「それに少しはお前ともちゃんと話したいじゃないか」 「……それはそれで嬉しいですが」 柔らかい笑みにちょっとだけ心臓が跳ねて声が上擦るのを堪えて返せば、途端に兵部が大欠伸をした。……とりあえず誰かと話したい人間の態度ではない事は間違いない。 がっくりと肩を落としたところで目の前にコーヒーカップが出現した。 「コーヒーお代わり」 「身体によくありませんよ」 「お代わり」 きっぱりと繰り返されて仕方ないのでキッチンへ戻りもう一度コーヒーを淹れる。ただし、カップの半分は泡立てたミルクにして、砂糖も入れたお子様仕様だ。 と、リビングに戻ってきて差し出したカップに手を触れた途端兵部が口を尖らせた。中身の割合を読んだのだろう。 「こら、子供扱いするなよ」 「たとえご老人でも聞き分けがないなら子供と同じです」 「……なんだよ、ちょっとばっかり見た目が大人になったからって大人みたいな口利いちゃってさー」 言い聞かせる口調が気に入らなかったのか、兵部はぶつぶつと、完全に子供が拗ねる仕草でまたクッションを抱えてソファに転がってしまう。そうしながらもカップは口元に運んでいる。人前では格好つけていても、実際には甘いコーヒーが好きなのを真木だけが知っているのだ。今は二人きりなのだから格好つける必要などないのに、それでもやっぱり扱われ方が気に入らないらしく兵部はぶつぶつと続ける。 「お前なんかさー、前はこーんな小さくて僕のいう事なーんでもきいたのになー」 こんな、と言いながら、床から三十センチくらいの高さを示して見せる育ての親に真木はやれやれと溜め息をついた。それではヌイグルミサイズだ。 自分がいつテディベアか何かかから進化したというのだ。 言い返してもどうせ反撃されるだけと諦めがすっかり染み付いた身は深く溜め息をつくのが精一杯だ。 「あれ?真木って幾つだっけ?」 と、ふと首を傾げた兵部の呟きに真木は眉を寄せた。 兵部は拾ってきた子供の顔と名前、出会った場所と状況、そしてその日付は絶対に覚えているはずだ。いつか誰かが――肉親でもそうでなくても、心から望んでその子を求めて来た時のために。 だが真木の事に関して覚えてないと兵部が言うのでは仕方ない。 「大体、ですがこのくらいかと」 兵部に拾われた時の推定年齢に今までの年月を足した数を答えれば黒い瞳が驚いたように大きく見開かれる。否、本当に驚いたのだとその表情から判る。 「え、まだそんな?」 しかもそんな台詞つきに、さすがの真木でも傷ついた。思わず眉間に手をやってしまう。 「いったい幾つだと思ってるんですか」 「あーいや別に、そういうわけじゃ……」 さすがに悪いと思ってか、兵部の目は逸らし気味だ。 「……でも、なんて言うか……」 と、兵部の視線が真木の頭のてっぺんから足の先までをゆっくりと往復する。二往復したところでふっと小さく吐息がつかれた。 「お前、苦労したんだなぁ」 「……はぁ」 しみじみ言われて真木はがっくりと肩を落とした。 いったい誰のせいだと思っているのだ。 この十年、気が向いた時以外は冷暖房完備のバベルの地下牢でのんびりと本を読んで過ごしていて、こっちはなかなか顔さえ見ることが出来なかったのに。 その上ふと姿を現したと思えば、何人もの子供を連れてきて、悪びれもなく笑うとすぐにまた消えてしまって。 地下牢にいた時も連絡はこまめにとってはいたし、たまには危険を冒して内部に忍び込んだ事もあったが、それでもこうやってある程度まとまった時間で兵部と相対できるようになったのはごく最近の事だ。 老けて見える? その自覚はちゃんとある。 だがそれは、いったい誰のせいだと。 「え……えっと、」 真木にはその能力はないが、兵部の方は接触精神感応の能力もある。でも今は兵部は真木と距離があるから、その能力を使ったのではなく察したのだろう。 白い貌がやや慌てた愛想笑いを浮かべてひらひらと手が振られる。憤りを素直に示して、ざわざわと真木の髪(+炭素繊維)が蠢いているのを宥めているつもりらしい。 「ま……まぁまぁ、人間の価値は外見じゃないよ、」 「今このタイミングでそう言われる方が傷つきますが」 「えーっと……」 「……まぁ冗談ですが」 言葉と同時に髪の動きを止めて肩を竦めると、様子を窺うような目が向けられた。子供が大人の機嫌を伺うような眼差しは、だがすぐに笑みの形に変わる。 「あーでも、ホントにいい男になったと思うぜ」 にやりと口端が引きあがるといつもの人をくったような、子供でも大人でもない表情になる。 笑みを溜めて真木をもう一度見て。 「ちょっとムサいけど、落ち着きがあって苦みばしったいい男になったじゃないか」 「……勝手に言っててください」 無責任に言葉を重ねられても嬉しくもなんともない。 しかもそこまでなら苦笑いですむ話だったのだが、兵部が付け加えた一言はちょっと余計だった。 「僕の育て方が良かったって事だな」 得意げな一言に、さすがに眉根が寄った。 まだほんの子供だった時はともかく、やっと視点の位置が近づいてきた頃から急に放任主義になって、しまいには幹部だとか腹心だとか言う名目の引き換えにその保護下から外された。 十年前だって懸命にそれを阻止しようとした自分達を制止して、自らバベルの虜囚になったくせに、そうかと思えば気紛れに牢から抜け出し、大なり小なり拾って来ては真木に押し付けて、あとはさっさとバベルの地下牢に戻って三食昼寝つきの生活をして。 そこには兵部の意思と思惑しかなかった。 何年も一緒に暮らした子供たちや自分の願いなどには耳も貸さず、兵部は自分の中だけの考えで動いてばかりだ。 ずっと……ずっと一人で勝手にやってたくせに。 時にそう叫びたくなる。 だがもうそんな子供の時期は過ぎてしまった。一緒にいてとただ願っても兵部が振り返らない事を知ってしまったから。 「……見た目でも実年齢でも構いませんが、」 叫ぶ代わりに、真木は数歩の距離を詰めた。 つられてソファの上で身を起こした兵部のすぐ前に膝を折って腰を落として兵部を見上げる。 その白い手を取って滑らかな手の甲に口付ける。 恭しく、全ての敬意と感情を込めて。 「どちらにしても、もう俺は子供ではありませんから」 「……うん?」 色々な含みを持たせて口にした言葉にはきょとんとした表情が戻る。 「もちろん、それは判ってるよ?」 「…………いえあの、……」 そんな反応に真木はがっくりと肩を落とした。 こういう時こそこっちの思考を読んでほしいのに、こういう時に限ってまったく素で返されるとどうしていいか判らなくなる。 隠しておきたい、そう願う心と同じくらいにいっそ曝け出してしまいたくなる。 あなたが何より大事で、自分の世界の全てになっていて。 だからもう子供の位置ではいられないのだと。 ――そう言いたいけれども、まだその勇気はない。だから結局兵部の手を離し、代わりに空になっているカップを取って。 「……コーヒー、もう一回淹れましょうか?」 「砂糖多めで」 全ての悪意を見尽くして澱んでしまったような、それでいて何にも穢れていないような瞳が笑みとともに鮮やかに煌めいて真木を映す。それだけで今は充分だと、そう言い聞かせて真木はまた立ち上がった。 思いが伝えられないのなら、せめてこの平穏な時間が少しでも長く続くようにと願いながら。 |
真木、ちょっと頑張ってみました(そして玉砕しました)、の巻。 手にキス、兵部はいいけど真木は結構微妙……。てか、こういうのが日本人には似合わないという事を書いてから思い出しました(こら)。でも真木がせめて手にキスくらいさせろって言うので。真木的には似合わなくても本望かと思います。 別に兵部は真木との出会いをほんとに覚えてないわけじゃないです。そこまではボケてません……(あわわ)。 他の子はいつか迎えが来たら返してもいいと思ってるけど(心からそれを望むのならパンドラに引き止めておくつもりはないので)、真木についてはすっかり自分のだと思ってる、みたいな感じです。 ……だったらいいなというこれは超妄想……。 |