ファーストコンタクト

 


 ドアを開けると三対の大きな目がこっちを見た。
 一人は女の子だ。薄汚れてぼろぼろだった服の代わりに、置いていったラベンダーピンクのワンピースを頭から被って、でもどうにも落ち着かないといった感じで膝を立てている。
 その横に小さな、ほんの子供がふわふわ浮いている。こっちも兵部が与えた服に着替えていた。
 少女の斜め後ろから好奇心いっぱいといった大きな目でこっちを見るから、兵部はにっこりと笑ってみせた。
「やぁ」
「…………」
 はにかみ屋なのか、子供は返事もなく少女の背中に隠れてしまった。そのくせ、またすぐに少女の肩からそっと目だけを覗かせる仕草はまるで仔猫のようだ。警戒心もあるが好奇心もいっぱいな、小さな仔猫だ。
「そして君、やっと気がついたんだね」
 小さく笑って、それから兵部はもう一箇所へと視線を動かした。
 三人の中では一番年上――といってもまだ十を少し超えたあたりだろう――の少年が強く睨んでいたからだ。
「大丈夫かい?」
「………………」
 こっちも返事はない。だがこっちの言ってる事は理解出来ているようだ。それを見て取って、兵部は勝手に話を進めることにした。返事を待っていたら何日掛かるかわからない。
「まだ辛いだろう、寝てれば?食事も休みもろくにとらずに能力を使い続けていたんだ、無理はしないほうがいい」
 少年の服だけはこの子供たちを拾った時のままのものだ。サイズの合わないズボンの裾を捲り上げて、シャツも肩が落ちている。
 兵部が彼らを取り囲んでいた連中を全滅させたのを見て、体力と緊張が切れて地面に倒れ込んでしまった少年だったが、ようやく目が覚めたらしい。
 兵部が入ってくる直前にどうにか身を起こしたものの、まだベッドから出られるほどは回復しておらず、そして兵部の与えた服に着替えるほど心を許していないようだ。
「悪い事は言わない、寝てなよ」
 だがこっちの提案にも耳を貸さず、少年はキッとこっちを見る。
「あんた、ナニモンだよ」
「僕かい?僕は君たちの味方さ」
「ウソつけ」
 こっちの警戒心はすでに十分育っているらしい。にっこりと笑って答えた兵部に短くはき捨てるように返すと、少年はふらふらしながらも、年下の子供たちを庇うように向き直った。
「やっとあいつらから逃げられたのに、結局あんたに捕まっただけじゃないか」
 強い警戒の言葉に兵部は肩を竦めた。もともとそれほど気長な性格ではない。小さな子供の機嫌をとるなんて、我ながら明らかに向いていなさそうだ。
 然るに兵部は逆側から攻める事にした。
「じゃあいいよ、出て行っても」
「……なんだって?」
 兵部の提案が予想外だったのか、少年の目が訝しげに瞬いた。
「ただ、出来れば少しはまともな食事をして、体調が元に戻ってからの方がいい」
 こういうふうにね、と兵部は意識を少し集中させた。
「わっ、」
 目の前に急に出現したトレイに驚いたのか少女が小さく声を上げ、反射的に受け取る。湯気の立つスープとパン、そして甘い果物を載せたトレイに年少二人の目が輝く。
 だが年長の子供はなかなか手ごわい。
「薬が入ってるかもしれない、食べるな!」
 少年の鋭い声に少女がパンを握った手を慌てて開く。どうやらこの少年が身体を張って小さな二人を守ってきたのは間違いないらしい。少年自身もまだ十分に幼いのに。
 少年のきつい視線に気づかない振りで兵部はトレイの皿を一つ取った。それをベッドの上の少年へ差し出す。
「ずっと食べてなかったから、君はまだスープだけかな」
「こんなもの、いらない」
 少年が大きく手を払う。スープ皿が兵部の手から叩き落された。
「こらこら」
 もちろん床に零れたりはしない。皿を念動力で宙に浮かせて救い、兵部は上体を折ってベッドの上の少年を見下ろした。
「食べ物を粗末にするなって習わなかったかい?」
「そんなの、知らない」
「……そうだったね、ごめん」
 首を横に振る少年に兵部は素直に謝った。そんな常識を知っているようなら拾っていない。
「でも考えてもみなよ、僕は君たちを追いかけてたあの連中を一瞬でのしちゃったくらい強いんだぜ。その僕が何で君たちを無理に取り込まなきゃならないんだい?」
「……それは、」
 初めて少年の目に揺らぎが見えた。
「それに、ずっとこのままじゃその子達も君みたいにふらふらになるよ。君が辛かったようにね」
 それでもいいのかい?
 兵部の言葉に少年がちらりと傍らを見る。
 少女はじっと少年を窺い、末っ子の子供の方はほかほかと湯気の立つスープに目が釘付けで、でも懸命に手を伸ばすのを我慢しているようだ。
「僕を信じて、お食べよ」
「……判った」
 二分を待ってようやく少年が頷き、ほっとした様子で少女がパンへと手を伸ばす。末っ子にスープを飲ませながらがむしゃらにパンを頬張る姿にどれだけこの子供たちがギリギリの生活をしていたのか窺える。
 それを見ながら少年が恐る恐るといった様子でスープを口に運ぶ。一口を啜った後は、まるで数日間ぶりのように(まるで、という言葉はおそらく要らないだろう)がつがつと食べだす様子に兵部は痛ましげに柳眉を寄せた。
 ……この日本でも。
 バベルが国内の全ての超能力者を統括しているはずの日本でもこうやって社会的に生きていけない子供たちがいる。庇護を受けられず、生きるか死ぬかの思いをしているのだ。その能力がゆえに親に見捨てられ、大人に利用されて。
 これでいいのか。
 ふと思う。
 法に縛られているバベルには到底見出だせないこういう子たちがこの世界にはたくさんいる。
 このままでいいのか。
 過去に死にそこなって、まるで亡霊のように時を止めた姿のままこの何十年を生きてきて。
 こんな自分でもまだ出来る事があるのかもしれない。この世界にこんな姿で一人残ってしまった事を恨むだけではない何かが。
 ……そんな考えになって兵部は小さく髪を揺らした。
 まだ考える必要はない。そんな時期じゃない。
 この先の事を――遠い未来の事ではない、身近な未来の事を考えるなんて……、そんな事ずっとしていなかったから。
 それよりもとりあえずは。
 と、兵部は思考を戻した。
 とりあえずは、もっとすぐ前にある未来をどうにかしなければならないと判っていた。



 ――しばらくは子供たちが無言で食べ物を貪る時間が続いた。
 すっかり空になった皿をトレイに戻して少年が顔を上げる。
「落ち着いたかい?」
「うん、……はい」
 こっくりと頷く少年にはもう先ほどまでの敵意の色はない。どうにか少しは信頼されたようだ。兵部は口元を綻ばせた。
 と、少年が急に赤くなる。どうやら先ほどまでの態度を思い出して反省したようだと見て取って少し満足する。
 そうするうちにこちらも食べ終えたらしい。皿を置いた子供二人の方へと兵部は向き直った。
「食事が終わったら、『ごちそうさま』って言うんだよ」
「ご……『ごちそうさま』…?」
 少女が何かの呪文を口にするように恐る恐る呟くのを、兵部は身を屈めてその髪を撫でた。
「『ごちそさま』!」
 とその傍らの子供が大きな声を上げる。舌っ足らずな声にねだられて兵部はこっちの赤みの強い癖毛も撫でた。
「いい子だね」
「……えへ」
 兵部の手に子供が嬉しそうに目を煌かせる。
 今度こそ少女の背中からふわふわと出てきた子供を兵部は抱き上げた。逃げる様子もなく、逆に肩口にぎゅっと顔を押し付けてくる甘え方は、完全に猫のそれだ。
 これがこの子供の精一杯の感情表現なのだろう。
 子供の頭を撫でながら、兵部はもう一度少年に向き直った。
「さっきも言ったけど、体調が戻ったら出て行ってもいい。どうせ僕もここに長居をする気はないしね」
 でも、と付け加える。
「でもここを出ても、子供だけで生きていける世界はないよ」
 その言葉に少年が不思議そうに首を傾げた。
「あんただって子供じゃんか」
「……まぁ今はそう思っててもらっていいけど」
 少年の不満そうな口ぶりに兵部は少し迷って、曖昧に頷くに留めた。
 隠す気もないが、本当の自分の年齢や正体はこの子供たちには今は刺激が強すぎるだろう。初めての清潔な服に暖かい食事、やわらかいベッドにさえびくついているくらいなのだから。
「とりあえずは、友達からはじめないか?」
「ともだち……?」
 訝しそうな目で少年が言葉を口の中で転がす。
「僕は君たちを取り込む気はない。でも君たちと一緒にいられたらいいとは思ってる。だからさ」
 と、少年は少し考えてからゆっくり口を開いた。
「……葉は、生まれてからずっとひどい目に遭ってきて、俺が見つけた時、口もきけなかったんだ」
 自分たちに慣れるのにもすごく時間が掛ったのに。
「その葉が、あんたがいいって言うんじゃ、俺はガマンするしかないじゃん」
「我慢ねぇ」
 言葉の選び方に少年の意地を見て、兵部はくすりと笑った。
 実際のところはかなり警戒心は緩んでいるようだ。それでも慌てたように付け加えるのが今までたった一人で年少の子を守ってきた少年の意地なのだろう。
「でももしあんたが何か悪い事を俺たちにしたら、俺は死んでもやり返すからな!」
「はいはい、判ったよ」
「……うー」
「ああ大丈夫だよ、『葉』」
 少年の言葉に不安になったらしい子供が兵部の服をきゅっと掴む。離れたくない、と言いたげな仕草に兵部は目を和ませた。
「『司郎』はずっとこうやって頑張ってたんだよ。……ちょっと心配症のようだけど、それは全部君たちのためだ」
「え」
 弾かれたように少年が顔を上げる。
「お、俺、名前……っ?」
 慌てた顔に兵部は笑みを深めた。種明かしは簡単だがここは黙っておこう。戸惑う少年の顔は思いのほか可愛らしいし。
「『紅葉』も、もう安心していいんだからね」
 瞬間移動能力者の少女は早々とワンピースの裾を伸ばして座り直す事を覚えていた。兵部の言葉に安堵したように笑顔を浮かべてきゅっと上着の裾を掴んでくる。身体の線は細いが女の子にしたら背が高い。海外の血が混じっているのかもしれない。
 整った顔立ちと長い手足と高い身長は、きっと大きくなったらどんなドレスでも似合うようになるだろう。
 昔の知り合いを思い出して兵部は微笑んだ。今度、こんなのよりもっと可愛いワンピースを買ってこよう。きっと彼女に負けないような美しい少女に育つだろうから。
「今度は僕が君たちを守るよ」
 一拍置いて兵部は付け加えた。
「君たちの未来を変えてあげる」
「でも……」
 まだ不審そうな眼に肩を竦めて余裕の表情で笑ってみせる。
「これが大人の義務さ」
「大人……って、あんたまだ大人じゃないじゃん」
 少年の言い分はもっともだ。……見た目的には、だけだが。
「でもまぁ、君たちよりは僕の方が少し年上だからね」
 真実を教えたら詐欺とか言われるだろうなとか内心で想像して笑う。少年はきっと口をあんぐり開けて、それから喚くだろう。
 少しどころじゃないじゃん!と。
 そんな少し先の未来を楽しく待つ事にして、兵部は左手に子供を抱えたまま、少年に空いてる右手を差し出した。もちろん今度は接触精神感応能力を使わずに、だ。
「友達になるにあたって、まずは握手から始めようか」
 ちなみに、と自分を示して言葉を繋げる。
「僕は兵部京介。……よろしく」
 おずおずと差し出された小さな手をきゅっと握り締めて。



 ――ここから、兵部京介の世界は変わったのだ。






アニメがあまりにもすごかったので。
ブラボーパンドラ幹部祭り。やっぱちびはいいですね!

三人中二人がちょっと警戒気味な顔なので、元々真木が紅葉と葉を拾って懸命に暮らしてたけど、高超度の子供たちを狙って悪い連中が襲撃してきて、それから逃げる途中でうっかり見かけた兵部がちびsを助けて、そこから始まる共同生活、というのを妄想してみました。

紅葉はこの頃兵部にさんざんひらひらを着させられたので、大人になった今はマニッシュ一辺倒になったというMY設定で(笑)。
葉は、アニメのあの絵のせいで、超甘えん坊に決定(前から甘えん坊と思ってましたが、それに超がついた)。大きくなった今はオトナぶってみたりしてるけど、兵部と二人きりだとべったべたに甘えてしまう感じです。
ちび真木の表情が何だか少し警戒している感じだったので、最初はなかなか兵部の事さえ信じないで兵部に突っかかって、でもだんだん兵部を知って兵部を大好きになっていった、みたいな。心配症なのは拾う前からってことになりました。
そして彼の心配症は、成長した今では兵部専門になっているというオチです。