兵部の私室の前で、少々心の準備をしてから部屋に入る。
「やぁ、待ってたよ」
真木を呼び出した覚えはあったらしく、兵部は彼のリビングでソファに座っていた。優雅に足を組んだ彼は真木を見て小さく口端を引き上げる。
……また妙な事を考えたらしい。
いつもと変わらない薄い笑みの奥になにやら幸先の良くないものを感じて一瞬顔が強張ったが、今更逃げられるわけでもない。
真木は内心諦めを感じつつ兵部の前の椅子に腰をおろした。
「明日、義兄弟の二人が撮影に来るってさ」
「撮影……とは、例のプロパガンダ用のですか」
「プロパガンダというと、随分物々しい感じだなぁ」
表情を引き締める真木とは対照的に兵部は鷹揚に、楽しそうに笑う。兵部はそう言うが、実際にはこの電波ジャックは、今までは極秘に作ってきたこのパンドラという組織の存在を世に明らかにし、エスパーによるエスパー救済のための組織がある事を(そしてそういうものが必要な世の中である事を)この世界に訴えていくための、その第一歩となる大事な計画なのだ。
「相変わらずお前は生真面目だなぁ」
と兵部が笑った。思考を読んだらしい。
なら話が早い。真木は身を乗り出した。
「では、声明はどんな感じにするおつもりですか、なんなら紙原稿に起こしますからおっしゃってくだされば」
「え、やだよそんなのめんどくさい」
「面倒……って、」
真木はがっくりと肩を落とした。仮にも全国の電波に乗せてエスパー解放組織として主張を出来るチャンスだというのに。
「ではいったいどのような内容にするつもりなのですか?」
「まぁ適当に爽やかなパンドラのイメージでいこうと思うのだけど」
「爽やか……ですか」
思わずぱちくりと瞬きを一つゆっくりしてしまった。
そんな単語、この吹き溜まりに似合わない。と思うのは自分だけなのだろうか。
少なくとも兵部は思わないらしく、さらさらと続ける。
「大自然と触れ合い、仲間と楽しく過ごす幸せな毎日。……今現在虐げられているエスパーたちに必要なのは、そういった仲間の存在を知らせる事だ。エスパーのパラダイスがあるよ、とね」
「パラダイス……ですか?」
真木は眉を寄せた。パンドラの本拠地を置いているこのパンドランド(葉がふざけてつけた名前が結局定着してしまったのだ)は確かに自然に囲まれているし、小さな子供が喜びそうな遊園地施設もあるが、決して言葉からイメージするような享楽的な場所ではない。
そんな浮ついた夢みたいな場所だとアピールするより、現在のエスパーが受けている不遇と、そこから救われてこの地に来て、ちゃんと一般人としての教育を受け、超能力も、リミッターで抑えるのではなく、コントロールを目標に育成もちゃんとしている現状を説明するべきではないのだろうか。
「だからさ、そういうお硬いのは今時はやらないんだよ、真木」
だが兵部の意見は大きく違うらしい。
「CMの基本はまずは印象操作だ」
彼は薄く笑って言葉を続ける。
「すごいぞ、憧れちゃうぞ、そんな夢のように自由な場所があるなら行ってみたい、そういった好意的な第一印象を与えてから、初めて現状のねじれについて説明しないと、誰も聞く耳なんか持ちやしないよ」
「そんなものですか?」
真木の視線に兵部は少し顔を曇らせた。声に苦みが混ざる。
「だからこそ、今の世の中ではバラエティやお笑い番組ばかりが流れてるのさ。……誰もこの苦しい現実に好き好んで目を向けたくなんかないからね」
「……わかりました」
全部に納得がいったわけではないが、兵部の言う事ももっともだ。CMというものが、発信者による印象操作だというのは真木も知っている。
「とまぁそんなわけで、お前にも参加してもらうんだけど」
と兵部の声音がからっと変わった。
物憂げで思慮深げなものから、にやにや笑いをいっぱいに含んだものへの変化は、どっちが彼の本心かを容易に悟らせる。
「……少佐?」
「僕の脚本では、君はビーチパート担当」
「は?」
「白い砂浜でくつろぐエスパー男性の図が一つ欲しいんだよ、山は葉がやることになったから」
「いったい何を言ってるので……?」
わけが判らない。まったく判らない。否、判りたくない。
嫌な予感に固まっている真木に兵部の言葉は容赦なく続く。
「で、これが君の衣装」
そんな一言とニコニコ笑顔の兵部が真木の目の前に瞬間移動で寄越したのはオレンジ色のなにやら薄い布切れで。
いったいなんだこれは。
恐るおそる受け取って広げてみて一瞬でなんだか判る。
「絶対嫌です!!!!!」
それを放り出し、全身全霊で叫びつつ真木は部屋の隅まで後ずさった。
オレンジ色の海水パンツなんて。
「どうせならインパクトあった方がいいと思って」
だが放り投げたはずの海水パンツはなぜかふよふよと浮いて真木を追いかけてくる。もちろん兵部の仕業だ。
「いいじゃん、ビキニはやめてやったんだからさぁ」
まぁ確かに布の形状は兵部が用意したにしては比較的まともだ。……いやそういう問題ではなく!
「いやです!」
勢いのままに真木はぶんぶんと首を左右に振った。ここで兵部を見たら負けだ。もちろん目の前を嫌がらせのように(ように、はいらないかもしれない)ふわふわ飛んでいるオレンジ色の物体にも目を向けない。向けたら間違いなく負ける。
と、兵部が(こういう時だけ自分の足で)近づいてくる気配がする。
「まーぎ?」
すぐ傍に来た兵部に鼻にかけた甘ったるい声で語尾を上げ気味に名を呼ばれたって、嫌なものは嫌だし、絶対に出来ないものは出来ないのだ。
「絶対に嫌です、俺には無理です!」
と、脳裏にとある人物の姿が浮かんだ。
「ままま、マッスルがいますよ、あいつなら少佐のためにどんなのでも喜んで着ると思います!」
「うんそうだろうね、」
懸命の言葉に兵部はにっこりと笑って頷いた。
しかし、でも、と彼は付け加える。
「でもそれじゃ面白くないだろう?」
「お、面白くなくていいんです、これはプロパガンダなんですからっ!」
「プロパガンダじゃないって、」
「じゃあなんなんですかっ」
「ただの遊びだよ」
あっさり言われて納得する。そうだ、この人はそんな人だった。
思わずすっかり納得した顔をしてしまえば、目だけで笑った兵部がじっと見上げて小首を傾げて。
「僕のために、真木は着てくれないんだ?」
「あなたのためになら何でもしますが、それは着れません!」
目を合わせたら負けだ。
そんな思いで真木は天井へと視線を固定して叫んだ。
「死ねと言われた方がまだマシです!」
言葉的に縁起悪いのは判っているが、心から本気だ。こんな薄っぺらい布一枚で全国放送の電波に乗るくらいなら、死んだ方がマシだ。できれば兵部のために兵部の代わりに死にたかった、くらいの心残りはあるが、だがそれでも。
と、兵部が大きく口を尖らせて、そして肩を竦めた。
「……判ったよ、じゃあいいよ」
「そ……そうですか」
まずはほっとして、それから慌てて気を引き締める。
おかしいからだ。兵部にしては諦めが早すぎる。
だがその真意を聞いたら藪蛇になるのは間違いない。ので、ここはとりあえず撤退してしまおう、と真木は出来るだけそうは見えないように努力しながらそそくさと立ち上がった。
何か言ったらそれを導火線にして自爆スイッチに火をつけられるのは判っているので視線も逸らし気味に、できるだけいつもと同じ歩調で歩く。
その気分はすっかりギリシャ神話のオルフェウスだ。絶対に背後を振り返ってはならない、全てを失うから。
……と、そんな連想さえしながらリビングを突っ切り、ドアを開く。どうにかゴールまで来れた事に思わずほっと安堵の吐息をつく。
「そ、それでは明日、朝食の時間に起こしに……えぇと、よ、葉をよこしますから」
珍しく戸口まで見送ってくれた兵部に、明日の予定を告げながらドアを閉めようとして。
と、その瞬間ふと兵部が何か真顔になったのが目の端に見えて。
「ところで真木、」
「はい?」
と、名を呼ばれてつい振り返ってその眼を見た瞬間。
「……ほーら、引っかかった」
そんな意地の悪い甘ったるい声が頭の中で響いた後。
不覚にも。
そこからの記憶はきれいさっぱり、なかったりする。
――目が覚めたら全部終わっていた。
催眠能力を使われて、自分の意思があれば死んでもしないような格好としないポーズをとらされて、……なんかもう、いったい誰だこれ、みたいな写真を完成図として目の前に差し出されて。
もう外になんか出たくないと三日三晩閉じこもって布団の中で丸まっていた真木を、その指先一つで真木の部屋の戸を叩き壊した兵部がベッドから引きずり出して言った台詞は以下のもので。
「真木、おなか減った」
そうなれば、結局は。
「…………今用意します」
としか真木には答えられなくて。
全てのエスパー解放のために動いているけれども、自分の基本的人権に関してだけは誰も守ってくれないこの組織で生きていかなければならないのだと悟った真木司郎にとっては。
「よぅ、このちょいワルオヤジ!」
「誰がオヤジだ」
と齧歯類に言い返すのがせいぜいの抵抗なのであった。
|