感染(うつ)るんです




「ただの風邪だって」
 何度言っても僕を覗き込む子供の眉間のしわは消えない。
 僕はやれやれと、これ見よがしに大きな溜め息をついて見せた。
「人間なら誰だって風邪くらいひくだろ?」
 だから心配ないよ、とさっきから何度も言ってるのに、その表情はさっぱり晴れない。仕方ないので僕はもう一度繰り返した。
「たかが風邪だぜ?」
「ですが、」
 心配なんかいらないと言ってるのに、子供は頷かない。
 それどころか。
「そのお年で風邪、はこじれたら大変なこ、……っ」
 ずいぶんと失礼な事を言う口を塞ぐために僕はちょっとだけ視線を流した。
 真木の首が後ろへがくんと直角に引っ張られるように落ちるのを見て少しは溜飲を下げた僕は髪を引くのをやめてやった。言って良い事と悪い事があるというのが、どうしてもこの子には理解できないらしい。
 葉に言われるのはそうでもないのに、この子に言われると、なまじ真面目に言ってる分腹が立つのだ(まぁ葉にもちゃんと発言の責任は取らせてるけど)。
「お前、もう行ってていいよ」
「いいえ」
 ドアへ向かってひらひらと手を振る事で出てけと言っても、失礼な子供は僕の言う事をきこうとしない。
「目を離したら、どうせどこかうろつくつもりでしょう」
 逆に確信に満ちた声音でそんな事を言うと、彼はどっかりと部屋の隅の椅子に座ってしまった。
「なので俺は見張りです。置物だとでも思ってください」
「こんなでかくてムサい置物、僕の趣味じゃないな」
「なら、犬か何かだと思ってくだされば」
「犬だって同じだよ」
 十年も地下牢にいたんだから、一人でいるのには慣れている。
 一人でいるのはそれほど嫌いではないけど、監視の目が嫌でしょっちゅう外に出ていたわけで、今はせっかく完全に自由に戻ったのに、なのに自室の中でさえ誰かの視線がまとわりついているなんて、わずらわしい以外の何物でもない。
「だから」
 一人にさせろ、と強く言おうとして、真木の表情に気づいた。
 大きな図体のくせに肩を落として、小さくなって丸椅子に座って、そうしてどこにも行かせまいと厳しくした視線を向けつつ、その実は不安でいっぱいの顔でこっちを見ている。
 ……まったく。
 僕は口を開く意図を変えた。
「真木」
 おいで、と手招くと警戒心いっぱいの表情で恐るおそる距離を詰めてくる。追い出されまいとしてか、やや腰を落とした身構えに僕はやれやれと溜め息をついた。
 まったく失礼な子供だ。本気で邪魔だと思うなら、初めから問答無用で部屋から叩き出している。瞬間移動能力ってのはそんなものなんだから。
 でもそれをしないでいるのは、相手がこの子だからだ。
「ほら、ここにおいで」
 促すためにさっきまで本人が座ってた椅子をベッドのすぐ傍に移動させれば、諦めたように今度は歩調を早めてやって来た。椅子ではなく床に片膝を着いて僕の機嫌を窺うようにこっちを見る視線はまるで犬みたいだ。
 僕はその頭に手を伸ばした。文字通り犬にするようにぽんぽんと頭を軽く撫でてやる。
「ちょ……、」
 逃げたそうに首を少し竦めるのを逃がさず髪をかき回す勢いで、撫でる手を強くすれば、触れている手を伝わって真木の意識の表層が流れ込んできた。
 僕の名誉のために一応言っておくと、僕はいつも接触精神感応能力を使っているわけじゃない。そして今も意識して使っているわけでもない。ただ、僕は精神感応能力者でもあるし、そうして真木は僕に対してのガードが全然ないので、表層なら触れただけでも伝わってきて、本当を言えば読み放題だったりする。もちろん本人には言ってないけど(知ったらひっくり返りそうだ)。
 今回も、僕は特にそう望まなくても今の真木の意識を知る事が出来た。
 部屋の温度や湿度は大丈夫かとの心配(ちょうどいい具合だ)や辛くはないだろうかとの気遣い(ちょっと咳が出てだるいだけだ)や、どうして自分の体調管理も出来ないんだとかいう腹立ちに(そんな無理言うな)、自分がいながら僕の不調に気づけなかったという自責の念(真木には隠してたんだから当然なのに)。
 色々な感情がごちゃ混ぜの、でも大きく分類するならこれだけは間違いなく純粋な好意の色。
「まーったく、このくらいの事で悄気てんなよ」
「しょげてなんか……」
 僕の言葉に慌てて首を振る姿に、いいアイデアが浮かんだ。
 この心配性の子供を安心させつつ、熱のせいか少々寒気がしている僕も居心地よく過ごす術だ。
 ちょっと意識を集中させれば子供の姿はベッドの傍から消える。そうして僕はベッドの上に悠々と寝転び直した。
 と、僕の隣で子供がぎゃ、と小さく叫ぶのが聞こえた。どうやら自分が瞬間移動で動かされたのに気がついてなかったみたいだ。
「ばたばたするなって」
 慌てて起き上がろうとするのを動かないように、僕は念動力で押さえつけた。この方が言って聞かせるより手っ取り早い。
「しょ…っ、」
 今までだって何度もこうやって一緒に寝てやってるのに、まるで初めてみたいに本気でぎょっとしたように身体を強張らせる様子が面白くて、僕はつい声を立てて笑ってしまった。
「ここにいなよ」
「ですが……」
「いいから」
 また色々とつまらない理屈とか常識とかを持ち出して距離をとろうとする子供にぴしゃりと言葉を被せ、それと同時に胸の真ん中に手を置く。まったく力は入れていないけれど、この手を真木が跳ね返せない事を僕は知っている。
「動くなよ、枕」
 途端に動けなくなった真木の横に僕はもう一度身を横たえた。僕の予想以上に大きく育った身体は、その片腕を動かして僕の頭の位置に合わせると名称通りの物体に変わる。
「ですが、これではいくらなんでも狭いでしょう」
「まぁね、でも僕は気にしないぜ」
 真木の言う通り、ベッドとしては狭くなったけどそう気にするほどでもない。軍にいた頃は寝袋に寝ていた時だってあったのだ。それに、たかが風邪をそれほど心配だと言うのなら、その気持ちを態度でちゃんと示してもらわなければ納得できない。
 そう言ったら、傍らからは溜め息をつく気配。触れてる手から伝わるのは少し諦めの入った『こどもみたい』という思考だ。
 まったく失礼な子だ。僕の方がずっと長くを生きてて、拾ったばかりの頃には、一人では寝られなかったのを夜中一緒にずっといてあげたのに。
 だけど僕はそんな事は言わないでやる。一応この子の親として、小さい頃の事をあまり引き合いに出すのはかわいそうだからね。
「まぁいいさ、これで早めに治るだろうしね」
「『これで』?」
 怪訝そうに呟くのは、ベッドの面積が僕の健康に大きく関わると思い込んでいるからのようだ。だから判るように頷いてやる。
「そう、これで」
 狭い方がいいんだよ、とも付け加える。
 テレパシーでもいいけど、触れ合っている方が真木の感情が直接流れ込んでくるから。
「だって」
 この感情を感じていられる事こそが、僕にとっては何よりの治療だなんて、そんな事は言ってやらないけど。
「お前に風邪をうつせば早く治るかもしれないだろ?」
「……早く眠ってください」
 なんて、冗談で言っただけの言葉に、少し間を置いてから僕にまわされた腕にはぎゅっと力が入っているから。
 ……ほんと、可愛いいなぁ。
 内心でしみじみと呟いて僕は目を閉じた。
 あたたかい腕の中でなら、安心して眠れそうだった。



 ――次の朝には僕はすっかり全快、だけど昼頃から咳き込み始め、夕方には熱まで出てきた真木になぜか他の皆の態度は厳しかった。
 ちょうどやってきたリビングでは風邪菌は早く寝ろとか周囲にはやし立てられて、口をへの字に引き結んだ真木がノートパソコンを片付けているところだ。肩を落として、ちょっとしょんぼりして見える。
 冗談のつもりだったけど、もしかしたら本当に僕の風邪が感染ったのかもしれない。
 なら今度は僕が添い寝してやろう。一度治った僕にはもう同じ風邪は感染らないだろうし、大きな図体の僕の可愛い子供は色々言いつつも僕にしがみつくようにして眠るのが大好きだから。
 そんな思惑で僕は真木の部屋へ瞬間移動をした。
 先回りで子供を驚かせてやろうとウキウキしながら。




拍手からいただいたお題です。お名前なかったのですが、ありがとうございました!

真木の風邪ネタは「ミエナイチカラ」に書いてたので、たまには兵部の方にしてみました。
ついでなのでたまにはまだデキてない二人で(笑)。
軽く表層しか読んでないので、真木の本当の感情にまだ全然気づいてない天然すっとぼけな兵部でお願いします(笑)。
そして真木は、添い寝されても緊張で寝付けず、翌日には更に具合が悪くなっている、に100炭素。
「賭けてもいい」@魔王