本日の勝敗
(お題:子供の頃のネタで弄られてあわあわな兵部)



「ねーねー京介!」
 後ろ――正確には後ろ上方からの声に兵部は足をとめた。
 振り返った先では一人の少女が抜けるように青く高い空を旋回しながら降りてくるところだった。
「お帰りなさい」
 普通の人間が見たら目を疑うような光景であっても、念動能力者である兵部たちにはこれは日常茶飯事の光景だ。
 少女が兵部の少し頭上で止まる。
 と、兵部はとある事に気づいた。それと同時に少女がワクワクといった表情を隠しもせずに兵部を窺う。
「ねぇ、なにか気づかない?」
 兵部の見上げる中で三つ年上の少女は伸びやかな肢体をくるりと回転させて見せた。
 いつも以上に動きが滑らかだ。
「……なんか、パワー増えてる?」
「ちょっと今日研究所の方でね」
 うふふ、と少女は朗らかに笑う。そして言うには。
「京介、ちょっと目を瞑ってて」
「……なに?」
 何かを思いついたと言った表情の少女の言葉に、兵部は猜疑心いっぱいの目で見返してしまった。
「ちょっと実験するだけよ」
「すごーく嫌な予感がするのは気のせい?」
 兵部には精神感応能力はない。彼女の思惑を知るにはその表情と目を見るしかないが、今の時点で判るのは、彼女が非常に楽しそうな表情をしてるという事と、それがおそらく兵部本人にとってはあまり良くない事だろうという予測――経験に基づいた推測だけだ。
「そんな事はないわよ、」
 にっこりと笑う年上の少女の笑顔は兵部が知る中では一番綺麗で一番可愛らしい。なのになぜこうまで危険な予感がするのか。
「……こういう時、伊号ならよかったのにと思うんだけどな」
 だからといって逃げられもしない。出会った頃ならともかく、成長段階にある今の兵部の念動力は不二子より強いが、彼女をふっ飛ばして逃げたりしたら、後で恐ろしい復讐が待っている。
「いいからいいから、おとなしくしてるのよ」
 案の定、不二子の台詞は兵部の予想から大きく違えない。
「動いたり逃げたりしたら殺すから」
 とか、ものすごい怖い事をにっこり笑顔のままで言うなり、不二子が身を屈めてきて。
 兵部の唇にあたたかくて柔らかい何かが当てられる。
「…………っ、」
 次の瞬間、兵部はストンと床に腰を落としていた。ぺたんと座り込んで、ぽかんと頭上を見上げてしまう。
「……な、なに今の」
 と、なにやら妙な事を仕掛けてきた三つ年上の少女はにっこりと笑い、そうして言うには。
「キスっていうのよ、京介はまだ子供だから知らないんでしょ」
 いつもなら不二子の子供扱いには口を尖らせて抵抗する兵部だが、そんなことも今は気にならない。……というより、気にしてる暇がない。
「もう子供じゃないし、それにそんなのはどうでもいいけど」
 兵部はぷるぷると頭を振った。
「変だよ、身体の力が入らない」
「あらそーお?」
 身体の不調を訴える兵部ににっこりと――にやり、という表現の方が正しいかもしれない――満面の笑みを浮かべた不二子がその場でぽんぽんと弾んでみせた。
「研究所で調べてもらったら、不二子には他人のエネルギーを吸収する能力もあるんですって」
「エネルギーを吸収?」
「その分、能力を一時的に強く出す事も出来るらしいわ」
 兵部にはまったく考え付かなかった言葉に思わず鸚鵡返しにしてしまう。不二子は笑うことなく説明を続けてくれた。
「他人の生命エネルギーを吸収して、更に超常能力に変換して放出できる能力。ついでに細胞レベルで一定期間老化が止まるんですって。つまり吸収した分の時間、年とらないのよ」
 どう?すごくない?
 目をキラキラさせて、彼女はとても嬉しそうだ。
「……僕の取られるのはイヤだけど」
 兵部は考え考え、言葉を捻り出した。
「でもいいんじゃないかな」
「あらどうして?」
 常に撃墜王争いをしている(が、兵部は不二子に勝てた例がない)相手のパワーアップを素直に喜ばれて不思議なのか、怪訝そうに見返す不二子に今度は兵部がにっこりと笑ってみせる。
「エネルギー吸った分、細胞レベルで老化が停止するってさっき言ったよね」
「そうね」
「つまり今だったら、このままの姿、って事だよね」
「……まぁ、そうね」
 それが本当なら、彼女がエネルギーを吸収している間は成長もしないという事だ。その間に自分の方が成長してしまったらどうなるだろう。自分の方が先にもっと背が高くなって抜かしてしまったら、彼女は今のままの姿なら、きっと今度は自分の方が兄になるかもしれない。
 兵部は想像してみた。
 長身の多いこの部隊の中でも大きな部類に入る隊長のように背が高くなって身体も大きくなって、不二子は今のままの可愛らしい姿でいたら、きっと自分の方が兄に見えるだろう。そうしたら今みたいに無理難題を言われたりしなくなるのだ。だって今度は兵部の方が不二子より年上になるのだから。
「いいんじゃない?」
 もちろんそんな事を考えているのがばれたら大変だから、ちゃんと兵部はまともな理由を用意していた。
「不二子さんの能力が強くなったら、超能部隊の戦績がもっと良くなるもんね」
 言葉に合わせてちゃんと真面目な顔も作る。
 ……のはずだったのに。
「……身長が越えたら形勢逆転できる、って考えてるのね」
「え」
 内心でこっそり考えていたはずの事をそのまま口にされて兵部は目を瞠った。何が起こったのかと慌てて見回せば、不二子の手が兵部のマフラーの端に触れていた。でもいつもなら、直接触れないと思考は読まれないはずなのに。
「言ったでしょ、今はあなたのエネルギーを吸収したからいつもより能力が強くなってるのよ」
「えええ」
 慌てる兵部の思考を更に読んだ不二子がにやりと笑う。
「ばれちゃったの?」
 ひそかに形勢逆転を狙っていたのに。
「ま……まぁでもっ、不二子さんが強くなるのはホントにいいことだと思うけどなっ」
「……やめたわ」
「え、」
 と、彼女の唐突な一言に兵部は目を瞠った。それは予想外だ。
「考えてみたら、不二子は今のままでも十分強いもの」
 兵部の反応をよそに不二子は少し考えながら呟く。
「それに、もう少しくらいなら成長を進めて、もっとナイスバディなピチピチの美人になった方が楽しそうだし」
 だから、と彼女は続けた。
「あなたなんかに抜かされたりしないんだから」
「僕なんか……って、」
「あなたなんか、ずっと不二子の後を追いかけてればいいのよ」
「……もう、」
 そう言うなりぷいっと宙を飛んで兵舎の方へ先に行ってしまう年上の少女に、兵部は大きく頬を膨らませた。置いて行かれてたまるかとこっちも宙に身を浮かせる。
 軍服に包まれたまだやっぱり子供の背中を懸命に追いかけつつ宣言する。
「いつか僕の方が撃墜数で勝ってみせるからね!」
「やれるものならやってみなさいな」
 少し先を進みつつ首だけで振り返る彼女はフフンと余裕の笑みだ。
「不二子は、あなたにだけは負けないんだから」
 そんな宣言をしたのは、まだ二人が本当の子供でいられたとある冬の日だった。


■ □ ■


「……というわけでね、京介のファーストキスは不二子が相手だったのよ〜〜」
「ちょ……不二子さんっ!!!!!」
 ちょっと悲鳴にも似た声が鈴を鳴らすような柔らかな声を遮った時は、もうすでに話の概要は終わっていた。
「へー、京介にもそんな時代があったんだ?」
「ふーん、案外可愛らしかったのねー」
「それ棒読みやん」
 ワクワクと身を乗り出してバベルのトップの思い出話に聞き入っていた三人の少女のコメントに兵部がわなわなと肩を震わせる。
「ちがーう!」
 とうとう爆発したのか兵部は大きく喚いた。
「不二子さん、捏造はやめてくれないか!」
「あら、どこらへんが捏造なのかしら?」
「…………っ、」
 にっこりと満面の笑みを浮かべる美しい女性の視線に、兵部がぐっと詰まるのが見えた。何かを言おうとして口を開き、だがまた閉じてしまう。
 もしかして、とその姿を眺めつつ真木はこっそり思った。
 自分たちパンドラの唯一無二の首領は、彼にしては非常に珍しいことに、迫力負け。……なんかをしているように見える。
 そして真木の推測は間違ってなかった。
 なんか色々な感情でもって銀色の髪を逆立たせた兵部が、少しの沈黙の後で一言唸ったからだ。
「……帰るぞ真木!」
「はぁ」
 チルドレンの世話係のメガネの青年に悪戯しにバベルに来たはずが、不二子の話一つで見事にあっさり追い返される羽目になってしまったわけだ。
 危険な事はやめてくださいと兵部を引き止めるために追いかけてきた真木としては非常に都合のいい結果ではあるのだけれども、なんとも切ない気持ちになるのはなぜだろう。
 切ないというか、胃が痛いというか。
 パンドラ本部に帰った後の兵部の荒れっぷりを思って、真木は深くため息をついた。八つ当たりの標的は間違いなく自分だと判っていたからだ。
 ……帰りたくないな。
 そうこっそり思ったものの、真木に拒否権はない。半ば諦めつつ、真木はそっとみぞおちに手をやった。帰ったらまずは胃薬を飲んでおこう。さもないと胃に穴が開く。
「じゃーね、京介」
「………………」
 子供の頃の事を持ち出して弄る悪い癖までそっくり同じく刷り込まれている気の毒な『弟』に『姉』がにこやかに手を振っているのを真木が視界の端に入れたところで兵部が唸りつつ瞬間移動をする。
 どうやら今日のところは(も)、惨敗のようだった。





お題その三。
不二子さん×兵部(本当は不二子さん兵部、だったけど、ここは×兵部サイトなので(笑))で、「子供の頃のネタで弄られてあわあわな兵部」でした。
初めは健全っぽいネタだったので兵部アンソロに使おうかと思ってたのですが、あまりにも短かったのでお蔵入りにしてたのです。
前置きが長くなってしまいましたが、弄られてるしアワアワしてるから一応お題部分はクリアってことでどうでしょう(聞くな)。
悪い癖は姉から弟へと受け継がれ、今では真木がその犠牲者、ってことでよろしくお願いします(ごめん真木)。

Kさん、お題ありがとうございました!!!