約束 |
ふとある事に気づいて兵部は飛行をやめた。 「京介?」 隊列から離れる形となった兵部に、先頭にいた一人が気づいて首を捻じ曲げる。長い栗色の髪が背でふわりと揺れる。 「先に行ってて不二子さん」 防風ゴーグル越しにも判る心配そうな眼差しに兵部は何でもないよと首を振った。 「ちょっと用事を思い出しただけ」 「ちょ……京介!」 「いいだろ、行かせてやれよ」 すぐ戻るからと言うなり空中で鳥のようにひらりと身を翻して隊列から離脱した兵部に先頭の少女が声を跳ね上げる。と、そこにのんびりした声が挟まった。兵部のすぐ後ろを飛んでいた男だ。 「兵部だって過保護な姉貴から離れたい事くらいあるさ」 「言ったわね、少尉!」 「おー怖いこわい」 責める口調とキッと睨む視線にも男はただにやにやと笑うだけだ。まったく堪えてない表情に不二子が仲間へ何か言い返そうとして兵部から注意が逸れた。 「じゃあちょっと行ってくる」 その隙を逃さずに兵部は身体を反転させた。 「あ、京介ってば!」 「すぐ戻るから」 助け舟に感謝の意を込めて小さく手を振ると兵部は一直線に先ほど通り過ぎた島の一角を目指して飛んだ。 この辺りは昨日の戦闘において敵艦隊の砲撃を受けた地点だ。 昨日の同じ頃、兵部たち超能部隊は違う方角から基地を襲った敵の航空機の一群を迎撃していて、この地点には一人も戦力を割けなかった。戻って聞いたのはほぼ全滅の報せだった。 今日はその雪辱とばかり総員で臨み、敵艦隊の約三分の一を沈めて戻る途中だった。 途中で減速していって地面にふわりと降り立ち、周囲を見回す。すぐに目的のものを見出す事が出来た。兵部はそこに駆け寄った。 そこにいたのは一人の男だ。 いたと言うより、倒れていた――もしくは在った、と言った方が正しいかもしれない。木の一本もないむき出しの岩壁に力なく倒れているその身体にはもはや生気の欠片も感じられなかったからだ。 熱帯特有の大きく黒光りするハエが無数にたかっていて、兵部の駆け寄る気配でようやく離れていく状態で、だがそれでも、その男はまだ生きていた。 この地点はほぼ全滅と知らされた通り、地上に累々と横たわる幾つもの死体の群れの中で、この一つだけがわずかに身じろいだように見えたのは目の錯覚ではなかったらしい。 兵部は小さく安堵の吐息をつくと傍に屈みこんだ。邪魔なハエどもは念動力で壁を作って傍に越させないようにして、その顔を覗き込む。 きつく閉じた目尻に涙のように血が溜まったまま固まっていた。 「大丈夫ですか?」 「……味方、か…?」 「はい」 声を掛けると小さな呟きが返る。頷くとようやく目が開いた。 全身をハエにたかられていた姿から想像したよりもずっと穏やかな表情と目をしている。 と、兵部を見て男は不思議そうな顔をした。 「…衛生兵、か?まだ…若、ぃな」 「えぇと……まだ見習いですけど」 違うと首を振りかけて兵部は途中でやめた。自身の階級と年齢が常識的に大きく隔たりがある事は自覚していたし、今の彼に必要なのは上官ではなく言葉通りに衛生兵だったからだ。 「傷を見せてください」 多少の応急処置くらいは習っているから何か出来るかもしれない。そう思って屈みこんだ先で兵部ははっと息を呑んだ。 男の腹には大きな金属片が刺さっていた。おそらく砲弾の一部だろう。裂けた金属が尖った槍のように男を貫き、地面に縫い留めていた。だから男はここから動けなかったのだ。 「……あ、」 自分の顔を男は見ている。それに気づいて慌てて表情を作ろうとして一瞬失敗した。はっとしたが男はゆっくりと首を振る。 「いいんだ、……もう助からない」 自分の状況を的確に察しているのか、男は荒い息の下でどうにか言葉を振り絞る。 「そんな……」 兵部は視線を揺らした。確かにその言葉通りだ。もう基地に戻れば助かるとか、そんな次元を超えている。この金属片を抜けば男はすぐに死に至るだろうし、どうにか基地まで持ちこたえたとしても、基地にももはや高度な手術を出来る技術も抗生剤もない。 だがまさかそうも言えないし、かといって男の言葉を気休めに否定する事も出来ない。 「君はこれから基地に戻るのだろう?」 「はい」 頷けば男が小さく笑った。 「もし先を急いでいるのなら、止めをさしてくれ」 その言葉にはっと小さく息を呑む中で、男が静かに続ける。 「そうでないのなら、……少しでいい、傍にいてくれないか」 少し震える声と共に差し出された血だらけの手を、少年はぎゅっと握った。今の彼にはそれしか出来なかったのだ。 ■ □ ■ 「京介」 基地に戻った兵部を出迎えてくれたのは姉だった。 心配そうな視線が兵部の身体の線をなぞっていくのはいつもの事だ。彼女はちょっと過保護な部分があって、いつまでたっても兵部を一人前として認めてないところがある。それが兵部には不満だ。だが今日はそんな事にいちいち抗議する気はなかった。 「……それ、どうしたの?」 不二子が兵部の手の軍帽に目敏く気づく。血に染まったそれが兵部のものでない事は明白だからだろう。 「預かったんだ」 「……そう」 それだけで何があったのか判ったのだろう。不二子の表情が悲しげに曇った。 「郷里のご家族にお送りしたいんだ」 「隊長ならきっと許可をくれるわ」 戦士者の遺品などを残された本土の家族に送る余裕がなくなって久しい。家族に与えられるのは名誉の戦死という一報のみだ。 だが超能部隊にはその特殊能力に相応した特権がある。この戦況であっても望めばどこにでも手紙は届けられる。手紙より大きい物だって、兵部が望めば可能なのだ。 「後でお願いしてみる」 うん、と兵部は小さく首を揺らした。 隊長は許可をくれるだろう。 規則を守るようにと厳しい時もあるが、本当はとても優しい人だから事情を話せば判ってくれるに決まっている。 「ならそんな暗い顔してないの」 「ちょっ、不二子さん」 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回されて兵部は顔を顰めた。と、ぽんと背中を叩かれる。彼女は軍舎を示した。 「戻りましょう、あまり遅かったから少尉も心配してるわよ」 「…………うん、」 「京介?」 返事はしても一向に動かない弟に不二子が振り返る。 「……不二子さん、僕たちは無力だね」 呟きに姉の足が止まった。 「敵の戦闘機だって戦艦だって僕は簡単に墜とせるのに、人を助ける事はできないんだ」 「……そんな事はないわ」 兵部の言葉を不二子がやや強く遮る。 「私たちが戦う事で、救えてるはずよ」 いくつの敵艦や敵機を殲滅させたか忘れたの? 「…そうだけど、」 それは何度も言われている事だ。 君達のおかげで敵艦隊を撃墜できた。あの島の敵勢力を殲滅できた。文字通り一騎当千の働きをする君達は国の誇りだ。 「……でも」 そんな事が本当に誰かのためになっているのか、兵部には判らない。だっていつまでたっても戦争は終わらない。超能部隊は敗北を知らなくても、基地で見知った何人もが冷たい身体になって戻ってきたし、……もうずっと戻って来ない者も多い。 無敵と呼ばれたこの部隊でも負傷者は出ている。 勝たなければ終わらないというのなら、負け続けている今の現状はどうだ。戦争はもうずっと続いている。沖縄本島からの撤退も最早遠い先の話ではなくなっている。 「不二子さん」 兵部は姉を見上げた。 「この戦争って何?なんで僕たちはこんな事をしてるの?」 いつになったらこれは終わるの? 「……判らないわ」 三つ年上で、年の差以上に大人びていて(子供っぽい部分が彼女のごく一面でしかない事は兵部も知っている)、どんな事も明快に答えるはずの姉が首を緩く振るのを兵部は呆然として見た。 「きっと隊長にも判らないわ」 「隊長にも……?」 「誰か個人の意思の問題じゃなくて、この国だけでなく他の国……いいえ、世界全体の意思が複雑に絡まってこの戦争を作りだしたのよ。だからきっと、私たちだけでは止められない」 「止められないの……?」 「今はね」 「じゃあ僕たちはどうすればいいのさ?」 声は自然、高くなった。小さな子供のような物言いを、でも今は整える事も考え付かない。 戦い続けるしかないのに、止める事も出来ないなんて。 「私たちにやれる事は、一つしかないわ」 ふと姉の声音が変わった。 「……生き残ることよ」 「不二子さん……?」 目を上げると、彼女はずっと真っ直ぐ空を見ていた。沈む太陽は赤く、彼女の頬をオレンジ色に染めている。 「どんな事があっても戦って、絶対に生き残る事よ」 少女めいたあどけなさはこの瞬間だけは影を潜め、そこには大人としての美しさと、どこか不安げな、怒りや苛立ちや諦めを混ぜ込んで一つにしたような色があった。その表情を隠しもせずに姉が兵部へと向き直る。 「京介、この意味が判る?」 「うん」 もとよりそのつもりだ。自国の民を死なせるくらいなら自分の手を赤く染める方がいい。死ぬつもりは毛頭ないし、もし最悪の時も、逃げる事なく戦って死んでいきたい。 「違うわ、生き残るのよ」 そう決心は今までもしていたのに、姉はそんな兵部に首を振り、もう一度強く言う。 「死んでしまっては声は残らないわ。私達は伝えなけりゃならない。そして、今後は二度とこんな事――悲劇が起こらないようにしなきゃならないの」 「姉さん……?」 「だからあなたは、どんな事があっても絶対に生き残るのよ、……たとえ、泥を啜っても」 言葉を重ねる真摯で強い眼差しが兵部を見た。 「約束よ、京介」 「……うん」 その言葉の本当の意味は判らないままに少年は頷いた。 ――日本の敗戦まで、そして大きな運命の転機までそれほど遠くないある日の出来事だった。 |
久しぶりに超能部隊です。そして超能部隊の話にオチがないのは仕様です。(すみません) 隊長の立ち位置がちょっと最近決まらないので、不二子さんと二人っきりで。 兵部は部隊でも最年少で、皆に可愛がられていたんだったらいいなぁと思ってます。 |